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ワン・フロム・ザ・ハートのkaomatsuのレビュー・感想・評価

ワン・フロム・ザ・ハート(1982年製作の映画)
4.5
この作品をコッポラの最高傑作と言わずして、何と言えばいいのだろう。マフィア一家の血塗られたサーガや、戦場における狂気、盗聴を仕事に持つ男の心理的恐怖など、重層的でサスペンスフルな数々の傑作を世に送ったコッポラではあるが、そのシリアスで練りに練られたストーリー・テリングが、ややもすれば軽妙洒脱さやユーモアの喪失という大きな欠点を抱えていたように思え、どうも心から浸ることができなかった。そんな中、男女の痴話喧嘩という、とんでもなく個人的、かつミニマムなストーリーをもって登場した本作の、あまりにもあっけらかんとしたチープさはどうだろう。「これは本当にコッポラの作品なのか?」「コッポラは一体何をやりたいのか?」と拍子抜けし、戸惑い、落胆した人も多かったことだろう。でも、これといったストーリーがないような作品だからこそ、映像をストーリーの奴隷にすることなく、イメージとして自由に解き放つことができたのだと思う。コッポラが、『ゴッドファーザー』シリーズをはじめとする、ストーリーに隷属していたそれまでの映像製作のアプローチをいったん反故にして、すべての資材を投げ売ってまで実現したかったのが、まさに本作における、光と影に彩られた、オールセットのラスベガスを舞台とした映像世界なのだ。

付き合い始めて5年、ラスベガスで同棲生活をするハンク(フレデリック・フォレスト)とフラニー(テリー・ガー)は、独立記念日の日、ちょっとしたことからケンカになり、フラニーは出ていってしまう。心はすれ違ったまま、二人はそれぞれ新しい恋を求め、ラスベガスをさまよい歩く。そして、新しい相手を同伴した二人は、街でバッタリ顔を合わせ…。

たったそれだけの、どこにでも転がっているような男女のすれ違い話を語るために、コッポラ監督は莫大な費用をかけて、自身のスタジオの中に巨大なラスベガスのセットを作り、光と影と色彩のコントラストに満ち溢れた街の喧騒を、奔放なイマジネーションの洪水と、トム・ウェイツの哀愁に満ちた音楽で、見事カラフルに描き切った。あまりにも美しい明暗のコントラストに驚愕しながらクレジットを見てみると、撮影は『地獄の黙示録』のヴィットリオ・ストラーロ。ベルナルド・ベルトルッチ監督の右腕として、数々の名作を残したスーパー・カメラマンである。その、ストラーロのカメラを通して映し出された、きらびやかなベガスのセットは、実際の街の忠実な再現というよりも、コッポラにとっての、男と女の機微を描くための巨大な遊園地であり、宇宙だ。それは、例えばフェデリコ・フェリーニが『フェリーニのローマ』において、リアルなローマではなく、あくまでもフェリーニ自身の、猥雑でいかがわしいローマのイメージを表現したのと似た趣を持っている。

コッポラは本作を通して、「リアルなロケーションにこだわることや、緻密で重厚な社会派ドラマを描くことがすべてではない」と、過去のコッポラ自身に向けてメッセージを発信しているようにも思えてしまう。そんなコッポラのイマジネーションが最大限に発揮された、素敵すぎる作品だ。
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