矢吹

月曜日のユカの矢吹のレビュー・感想・評価

月曜日のユカ(1964年製作の映画)
3.8
加賀まりこがヒールでカツカツ歩いてたら、そこはもうパリや。

キスはダメなものなのよ。という理由もちゃんとあったし、わかるけど、キスをしないというのが、何よりの足枷になりうるし、その事実を芯から理解していないという前提が必要な、自分から狙ってやっても恐らくは2度とできない悪魔の契約。魔性の引力。
パパに、男に、求められてナンボ。
男を喜ばせることが、至上の喜び。
ユカちゃんや、僕は中尾彬の気持ちがどうやってもわかってしまって、悲しいよ。
そんな終わりは、映画としては、いっそ気楽だとも思ったよ。
パパという存在への希求がユカちゃんには大きすぎた気もするし、ママからのそういった正義の教育による、立派な純朴で間違いなく少女でもある。
あまりにも、無邪気で悪戯。な性格とそれを可能にするファッション。
顔ちっさいし、目も鼻も口も、最低限の機能を残して、美麗と可憐に全フリ。

遠くまで見る気も、よく食べる気も、たくさん吸う気も全くないな。
身体の機能からして、モノが違う。
社会にとって、可愛いという役割のために生まれてきた女の子。みたいな。

ヌーヴェルヴァーグと、どうしても呼びたくなるような、世の中に流れていない時間の遊び。
映像ならではのワガママ。
これも、どうしようもなくそうしたくなるくらい加賀まりこさんの魅力がすごいっていう責任もある。というか、それだけが、ほぼ全部の疑いもある。やりたいことに、ぴったりだった女の子が生まれてきてしまっていたのなら、どっちもどっちだ。
例に挙げると、まりこちゃんがほっぺたをぎゅっと寄せられた場面、その瞬間の、ちょうど止めて欲しい顔のところで、しっかりカメラが静止して、スタンディングオベーション寸前だった。
止めて見たい、もっと知りたい、近くにいたい、そのための魔法と同じだ。映画だ。

こんな女の子、ノスタルジーと黄金時代症候群で、奇跡の存在だったと言いたくはなるが、
あの笑顔、今現在の、誰かもできるんだよな、思い出せない。その面影を探す作業を、生活に溶かしておくのも、一つのコツだとする。
矢吹

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