くまちゃん

籠の中の乙女のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

籠の中の乙女(2009年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

シュールで前衛的、ゴダールのようなアート性が垣間見える。
今作を鑑賞してしまうと「ロブスター」も「聖なる鹿殺し」もより娯楽性に富んでいた事がわかる。
ヨルゴス・ランティモスという映画人を濃縮還元したのが今作であり、次作に続く作品は全て添加物の入った加工品である。身体に悪いが味は濃い。

父、母、長女、次女、長男の四人は外界と隔絶された「家」の中で自由に過ごす。父は仕事があるため外出するが、なぜ他の家族は外に出られないのか。
父一人に買い物を頼んだり、長男や長女が外に何か投げたり、獰猛な生物「猫」へ対抗するための訓練を受けさせたりと、我々の日常からはかけ離れた生活が延々と映し出される。

作中、母の身に起きた悲劇に軽く触れられている。大変な事があったらしい。
長男が猫を殺した場面で、父はペンキで出血を装い、外界がいかに危険であるかを伝え、さらにもう一人の兄弟が亡くなったことを家族に伝える。
つまり、過去に母は事故または事件に遭遇し、子供を一人失ってしまったのではないだろうか。父の独裁的な家族方針に母が従っている事、出血の演出に際して本気で驚いた表情をしていたことから、心に深い傷があり、精神的に病んでしまっているのかもしれない。
娘が父の足の爪を切る際、父の内腿あたりに傷があり、長女の肩あたりにも傷らしきものが確認できる。
飛行機に対して度々墜落を願う発言をしていたことから、もしや飛行機事故が原因なのではないか。
いずれにせよ推測の域をでない。

物語の中に犬歯が生え変わることで外の世界へ行けるとする言葉が登場し、原題「Κυνόδοντας」英題「Dogtooth」ともに犬歯を意味している。
では邦題「籠の中の乙女」とはどういう意味なのか。
乙女とは処女、つまり経験のない若い女性を指している。
それが籠の中におさまる。ただの箱入りではなく、もっと原初的な「ゆりかご」のような物を指しているのではないだろうか。
つまり長女、次女、長男の三人は年齢を重ねても何も知らない赤子同然であり、家という名の巨大なゆりかごにゆられ、心地の良い生活を送っている。
さらには家そのものを母胎と考える事もできる。プールの場面はおそらく羊水を表しているのではないか。

父は思春期の長男のため性欲処理要員としてクリスティナを連れてくる。
彼女は長男との関係の他、長女とも性的関わりを持つようになり等価交換として家にはない私物を与える。
これが長女が外界に強い関心を抱くきっかけになる。
母胎の中に異物が侵入したら排除されるのが自然の摂理。
父によって家から追い出される。

長女の外界への興味はつきない。
クリスティナのVHSで観たであろうロッキーやジョーズに心を奪われていた。

他人への不信感から父はクリスティナの代替として、長男に性欲処理の相手を選ばせる。長女と次女から。
長男は長女を選択し関係を結ぶが、これが決定打となる。
長女は乙女ではなくなったのだ。

犬歯が生え変われば外へ出られる。

長女は小さいダンベルで自身の顔面を殴打し犬歯をへし折る。
血だらけになりながら、外へ出るため父の車のトランクに乗り込んだ長女。

焦った家族は周囲を探すがみつからない。

翌日父は車で仕事にでかける。
トランクに長女が乗っているとも知らずに。
長女は家という母胎から見事に産み出された。しかしトランクから出ることなく物語は幕を閉じる。
それはトランクという新しいゆりかごに再び納まってしまった事を示唆しているのかもしれない。
くまちゃん

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