サマセット7

世界中がアイ・ラヴ・ユーのサマセット7のレビュー・感想・評価

世界中がアイ・ラヴ・ユー(1996年製作の映画)
3.3
監督・脚本・主演は「アニー・ホール」「ハンナとその姉妹」のウディ・アレン。
共演に「チャーリーズエンジェル」のドリュー・バリモア、「プリティウーマン」のジュリア・ロバーツ、「サボテンの花」のゴールディ・ホーンなど。

[あらすじ]
ニューヨークにて、弁護士夫妻ボブ(アラン・アルダ)とステフィ(ゴールディ・ホーン)は、ステフィの連れ子D.J.、ボブの連れ子スコット、スカイラー(ドリュー・バリモア)、レイン、ローラ(ナタリー・ポートマン)らと賑やかに暮らしている。
スカイラーの婚約者ホールデン(エドワード・ノートン)は、D.J.の知恵を借りてスカイラーにプロポーズするが、2人は噛み合わない。
一方ステフィの前夫でありD.J.の父親であるジョー(ウディ・アレン)が落ち込んでいるのを見かねたD.J.は、夏季旅行中に旅行先のベネチアで、神経症体質の人妻ヴォン(ジュリア・ロバーツ)を落とすよう、ジョーにけしかけるが…。

[情報]
1969年の監督デビュー以来、おおむね年一本のペースで映画を撮り続けているウディ・アレン監督の、1997年公開の、ミュージカル・コメディ映画。

コメディアン出身のウディ・アレンは、多くの映画で自ら主演し、冴えない中年男性が独特の不思議な魅力を持つ女性と恋に落ちる自作の脚本のもと、継続的に監督として映画を撮ってきた。
彼の作品は、彼の実体験や実人生が色濃く反映されている点、作品中の恋愛を独自のシニカルな視点から描いている点、独特のユーモアを散りばめたコメディが多い点、などの特徴を持つ。

ウディ・アレン作品で、オスカーをはじめとする俳優賞を受賞した俳優は数知れない(ダイアン・キートン、マイケル・ケイン、ダイアン・ウィースト、ペネロペ・クルス、ケイト・ブランシェットなどなど)。
ウディ・アレン自身も、アカデミー賞監督賞を1度(アニーホール)、脚本賞を3度受賞しており(アニーホール、ハンナとその姉妹、ミッドナイトインパリ)、実績としては、映画史上に残る名匠、と言ってよかろう。

しかし、私生活では、結婚と離婚を繰り返し、1980年代から90年代にかけて、交際相手だったミア・ファローの当時未成年だった養女と男女関係になり、後に結婚。
大きなスキャンダルとなった。
さらには、ミア・ファローから、別のまだ幼かった養女に対する性的な虐待を告発され、泥沼の訴訟沙汰になった。
結局、性的虐待の容疑は証拠不十分で訴追に至らなかったが、30年後の2018年ころになって、MeToo運動の盛り上がりと共に、虐待の被害者とされる女性からメディアを通じて批判を受ける。
追随した関係者から映画製作に関する各種契約を切られ、87歳となった現在は実質的にハリウッドから干された状態となっている。
表現に困るが、色々な意味で常人の域を超えて「恋多き人生」を実践してきた人物である。

今作は、現在の妻(ミア・ファローの養女だった女性)と結婚した年に公開されている。
ミア・ファローとの子の親権をめぐる法廷闘争がようやくひと段落した時期で、肩の力が抜けたのか、ゆるーい作品となっている。

ウディ・アレンの長大なフィルモグラフィーの中で、初のミュージカル作品。
ジュリア・ロバーツ、ドリュー・バリモア、エドワード・ノートン、ナタリー・ポートマン、ティム・ロスなどなど、超豪華なキャストを起用し、原則として吹替を用いず、俳優本人が歌唱している点に最大の特徴がある。

今作は2000万ドルほどの製作費で作られ、3400万ドルほどの興収を上げた。
ウディ・アレン作品としては、そこそこの数字か。
今作は、批評家、一般層からそこそこの支持を得ている。
他の評価の高いウディ・アレン作品と比べると、然程でもない、という感じか。

[見どころ]
昔のミュージカルを、90年代にノスタルジックに甦らせている。
いくつか面白い歌唱シーンあり。
あの俳優もあの大女優も歌っちゃいます!!
宝飾店!!葬式!!!
ウディ・アレンの恋愛にまつわる体験がうかがえる、ユーモラスな恋の群像劇!

[感想]
はまらず。

ミュージカル映画の醍醐味は、歌唱による感情表現の爆発にある、と個人的に考えている。
メリーポピンズしかり、サウンドオブミュージックしかり、ウエストサイドストーリーしかり、レ・ミゼラブルしかり、ララランドやグレイテストショーマンに至るまで。
しかし、今作に、歌唱による感情表現の爆発は、見受けられなかった。
ひたすら気楽、ひたすら明朗。
ウディ・アレン自身や有名俳優たちが頑張って歌っている姿は微笑ましいが、それだけだ。

そんな中、葬式のシーンは、独自の面白さがあった。
亡霊たちが棺桶から起きてきて、生きているうちに楽しめ!!と歌うシーンだが、今作のメインメッセージの一つだからだろうか、映像の面白さも込みで、ここには引き込まれた。

今作は群像恋愛コメディでもあるが、中盤までは、正直退屈に感じた。
ティム・ロスが登場し、上記の葬式シーンあたりからそこそこ面白くなる。
序盤の恋愛模様は前振りで、中盤以降、各自の恋愛が、迷走していくあたりが本番、ということだろうか。

ウディ・アレン作品は、監督自身の人生が濃厚に刻印されている。
監督本人が逆境にある今、視聴するのにいい時期とは言えなかったかもしれない。
恋愛描写の一つ一つに、作者の自己弁護を、こちらが勝手に読み取ってしまうのは、認知の歪み、というやつだろうか。

総じて、はまらず。
私は、気楽に映画を楽しむことをせず、ウディ・アレンを分析する気分で作品を観てしまった。
それはそれで興味深く観たが、この映画体験は、私が望んでいたものではなかった、ということか。
それとも、作者の恋愛観と私の感覚の、深刻な相違が「はまらない」と感じさせるのだろうか。

[テーマ考]
今作は、人生は短い!今を楽しまないと損!
恋は一瞬で訪れ、次の瞬間去っていく、であれば、その一瞬を全力で楽しめ!
恋が去ったら、元の鞘に戻ってもいいじゃないか!!
一度きりの人生!恋愛にタブーなんてないんだから!!!
といったメッセージにあふれている。
スカイラー、D.J.、ジョー、ヴォン、ステフィなど、今作の主要人物は、気の向くまま、次々と恋愛に没頭するが、このテーマに沿って理解できる。
中盤の葬式のシーンや、ボブの息子スコットの変節、弁護士父母の建前と本音、ラストシーンに至るまで、「恋愛至上主義」の文脈で解釈可能だ。

こうしたメッセージは、当然ながら、ウディ・アレン監督の実人生の反映である。
彼は、今作を通して、自分の「恋多き」人生を肯定し、礼賛し、自己弁護しているように感じられる。
そんな話の主役に、臆面もなく自分を据えるあたり、彼の図太さは只者ではない。

ところで、90年代ならアリだったかもしれないが、今は時代が違う、と思う描写が幾つかあった。
つきまといやプライバシー侵害を、恋愛コメディの道具に使うとか、「育ちのいい女性は押しの強いワルに弱い」と言わんばかりの描写とか、今見ると結構気まずい。

となると、今作のテーマも、普遍的なものではなく、時代なりのものとして観るのが妥当かもしれない。
現代は、一度きりの人生の恋愛だとしても、一定の分別を求められる時代、と言えるのかもしれない。
ウディ・アレンの凋落と合わせて、そんなことを考えた。

[まとめ]
ウディ・アレン監督が、豪華キャストと共に初めてミュージカルに挑んだ意欲作。

ハリウッドからは実質干されたウディ・アレンだが、元々彼はヨーロッパでも映画を撮っており、現在はそちらに移住しているようだ。
彼のキャリアが終わった、とは断言できない。
いずれにせよ、彼の過去作のうち、評価の高いものは見ておきたい。