じゅ

落穂拾いのじゅのネタバレレビュー・内容・結末

落穂拾い(2000年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

打ち捨てられてた畑を立て直して葡萄栽培してるみたいな一家な、鋏チャキチャキしながら歌う声が綺麗すぎるて。CD出そうや。


なんか、アニエス・ヴァルダさんがカメラ片手にフランス各地を回っていろんなものを拾う人たちを撮ったんだと。それは、廃棄された野菜とか収穫が終わった後の農園の果物とか市場の廃棄物をその日を食い繋ぐために拾う人たちだったり、芸術とか趣味か何かでゴミ捨て場を巡る人たちだったり。

初めはフードロス云々とか不平等な社会がどうのとかって話かと思ったけど、どうやらそうでもないのな。まあ廃棄された食品を拾い集めて食い繋いでいる人たちには当然そういう思いがあるのは伝わったけど、当のヴァルダさんは拾い集める情景とかを「『落穂拾い』だなー」っつって一種の芸術として見て記録しているかんじ。捨てられたじゃがいもの山からハート型のやつ拾って帰ってたけど、その後芽をもりもり生やしてただただ腐らせてた辺り、べつに社会問題として見ているようではなかった。


日頃べつに見向きもしてなかった何かにふと目を向けてみると、なんか珍しいものを見ているような気になるのはなんかわかる。個人的にはそれは「自分の知らない獣」みたいになっていく手とか、薄くなってく髪とか、高速道路で自分らと前を譲り合うトレーラーや廃棄食品を運ぶトラックであることは少ないけど。
何にせよ、そういう映像もこの"落穂拾い"たちの営みの映像に挟んだのにはやっぱ意味があったんだろうか。共通する何かを見出していたんだろうか。

それは言うなれば、不斉一の中に斉一を見出すこと?なんとなく無意味にできがった状況から意味を見出すというか、無作為に積み上がった状態から作為的に何かを抽出するというか。
無造作に積み上げられた廃棄のじゃがいもの山とか刈り取られなかった果実の群れから食えるものを選び出すことだったり、ゴミ捨て場にかき集められたガラクタの山から意思のようなものを感じ取って拾い集めることだったり、なんとなく並走している赤の他人のトレーラーやらトラックとかけっこを始めることだったり、そういえばあとは放置した自宅の雨漏りのしみになんとかっていう画家だか画風の雰囲気を見出してみたり。
老いた手のことは知らんけど、そのうちしわとかしみで遊び出したりするんじゃないすかね。遠近法でトラックとかトレーラーを握り潰してたみたいに。まあ、何かに自分なりに脈力なく意味を見出すのって楽しい。


この"落穂拾い"(あるいは、もしかしたら"見出す人")たちは、そうなるよう社会に無作為に選ばれた人たちだろうか。ある意味ではそうかも。ある意味ではそうじゃないかも。
彼らには彼らなりの、本当に個人的な倫理で動いていた。それはもちろん日本で言うところのもったいない精神でもあるし、よくわかんないけど大きく括れば社会の在り方に疑問を抱いた系の理由でもあると思った。最後に出てた、生物学を学んで修士号持ちで夜は無償で外国人に言葉を教えている彼は、いわば「持たない豊かさ」的なのに気づいたってかんじかもしれん。
いずれにせよ、拾うに至ったきっかけというのは、きっと彼らじゃないと気づけないことだったのかも。(必ずしも立派な気づきばかりじゃなくて、中には妻と2人の子がいながら酒気帯びで長距離トラックを駆った無責任さの因果応報もある。)ともすれば、いつのまにか巷に溢れる"落穂拾い"たちは、自然発生的にランダムで現れたわけじゃなくて、彼ら一人ひとりの理由なり必然性があったわけだ。
まあ俺のこじつけだけど。


改めて、何かに自分なりに脈力なく意味を見出すのって楽しい。
じゅ

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