砂場

Talking Head トーキング・ヘッドの砂場のレビュー・感想・評価

2.0
『トーキングヘッド』
押井さん、こりゃ酷い💧
まずはあらすじ(あるのか?)から


ーーーあらすじーーー
■大作アニメ『Talking Head』の一部試写、公開時期が迫るが完成見込みはない。監督が失踪してしまう。
そこでプロデューサーからは演出家「私」が呼ばれる。前金は半分の500万円、私の頼りは強引に仕事を進めるデスクの半田原だ。
しかし次々にスタッフの不審死
■作監が行方不明、色指定のアヤとツヤが絵の具の瓶に頭を突っ込み死んだ、脚本の伊藤のバラバラ死体
■本作にはアニメーターとして板野、山下、北久保などが参加していた。
■作監による劇中アニメでアニメ論、キャラ論、人間俳優との差が語られる。しかし餓死、音響担当の死、トーキー論、音声の呪縛
■私と多美子が車で移動中に人を轢いてしまう。しかしそれは三人の敵であった。多美子は写真銃で撃退。姿なき殺人鬼、作曲家の川井が溺死
デスクの半田原が倒れる。音響監督が毒殺
■メリエスの月世界旅行をバックにジャズを歌う女
■状況は最悪だ、助手の多美子は監視役なのか、半田原はゾンビになって蘇った
脱構築、ポストモダン、連続殺人は存在したのだろうか
■映画技師たちの非業の死、自殺、メリエスは晩年は土産物屋をやっていたそうだ
■アニメーター板野が私に詰め寄る。私は原画を直してもらおうかというが板野は聞こえねえな、、といいつつ銃撃、私は死んだのか、変わり身だ、、逆に板野が銃殺
多美子は思う、前任者はここのどこかにいるわ、、所詮は私たちも、、
真実を語るもの、彼よ!それは私そっくりの映画を映す自動人形だった
■トーキングヘッド試写がおわり、客たちが劇場から出てくる。
■プロデューサーは多美子に、君はよくやったよと仕事ぶりを評価
劇場の椅子の上に置かれたテレビの中の幽霊の映像
ーーーあらすじおわりーーー


🎥🎥🎥
映画がなかなか完成しないことを描く映画という点では、『8 1/2』『アメリカの夜』のような一作でどちらも大傑作なのでこの『Talking Head』もストーリーは好きだけどどうにも擁護しきれない。
四方田犬彦の『映画はもうすぐ百歳になる』の映画史に関する記述をネタ本にしているとのことでサイレントからトーキーへの移行、カラー化など映画史、映画論が劇中で延々と語られる。

アニメ関係者内輪ノリは押井守世代には楽しめるだろう、声優たちや、アニメーター板野一郎、山下将仁、北久保弘之、脚本家伊藤和典などを模した人物が登場。板野が押井を撃ち殺そうとするところは笑ってしまった。幽霊描写もなかなか悪くない。

ただ全般的に映像が安っぽすぎてきつい。『8 1/2』『アメリカの夜』と比べるのも酷だけど壮大な内輪受けには壮大なゴージャス感は必要だと思うのだ。
このような映画にこそ昭和を代表する俳優が出て無駄遣いするくらいで良い。

最大の問題はアニメ作家押井守が映画史を語るというポジションのズレだ。自覚的なのかどうかわからないけど映画論、映画史の中に自分を置いているところがある。ここには映画史の中でアニメがどのように位置付けられるのか一部作監の人のキャラ論はあるけども深く語られず、押井守自身を映画史の中に置く。

もう30年以上前の話だけど、アニメ誌で押井守が『未来少年コナン』を批判した文章を読んだことがある。
宮崎駿はカリスマであり批判するというのはなかなか珍しかった。押井曰く、コナンは叡智や作戦で問題を解決するのではなく、作画の力で問題を解決するように見せており欺瞞である、、というような趣旨だった。
この辺からも押井がアニメ作画思考ではなく、映画的な内的ロジックを好む人だなと関心を持って見ていた。
ただ本人の思考とは裏腹に、押井アニメこそ圧倒的な作画力で支えられていたと思う。
『うる星やつら』の山下将仁や『攻殻機動隊』の黄瀬和哉など天才たちが集まって押井ワールドを支えてきたしファンも”誰々さんの作画が見たい”から押井作品を見るということも多かったと思う。

”誰々さんの作画が見たい”という実写ではあり得ないアニメ特有の構造を見ずに、実写映画史に無理矢理落とし込んでいる。つまり押井は自分の作品が実は天才の作画力に支えられていることを隠蔽し、自分をメリエスなどに連なる実写映画監督の系譜に置こうとしているのだ。このイシューのすり替えは容認できない。
もちろん僕自身は押井の巨大な妄想力、構成力は高く評価しているけども、作画陣とセットでそれは評価すべきと思っている。
だから作画力の発揮できない押井の実写はいまひとつなのだ。

本作も作画力を前提としているような構図や意匠がとても多い。ああこれは多分板野一郎、山下将仁、黄瀬和哉に描かせたと想定して考えた人物なりキャラなりギャグなんだろうなと思わせる場面が多々ある。
もし彼らがこの映画をアニメで描いていたらかなり面白かったと思う。そういう意味では天才アニメーターは監督でもあり、演出家、脚本家、演者でもあるというのがアニメの映画史における特異点たる部分だろう。
”誰々さんの作画が見たい”という特殊性を映画史の中で特異点として語るべきだった。

押井は作画力なしでも俺はやれると過信したのかその後も数多くの実写を撮っている。でも個人的にはアニメーターの作画力と押井のコラボが一番パワーを発揮すると思うのでアニメ作品をもっと見たい。

傑作、庵野『シン・ゴジラ』もあるのでアニメの特異性を実写で生かす事例はあるけども、、

あと、スタッフがバタバタ倒れるというのは業界として低賃金、長時間労働の問題なのでその辺に社会派的に切り込むと本作も意義があったかもしれない。
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