カラン

黒い神と白い悪魔のカランのレビュー・感想・評価

黒い神と白い悪魔(1964年製作の映画)
4.5
1940年代、ブラジル北東部地域の荒野。荒涼とした大地は薮が申し訳なそうにすみにより、背の高いサボテンがいくつか目立っている。貧困が蔓延しており、仕事にありついた人も搾取の憂き目にあう。


☆貧しき者は、、、

かくて映画は、①新興宗教、②山賊、③逃亡、という貧者の三段活用といった様相を呈する。しかし、③の逃避が実際の死に至るのでもなければ、また新たな①や別の②に取り込まれるのは必至であり、結局のところコミュニストであったらしいグラウベル・ローシャは、貧困こそが崇拝=隷属の原因なのだと唯物論的に考えているのである。これは前作の『バラベント』(1962)と全く同じ発想で、彼が何を映画にしようとしていたのかがよく分かる。

『バラベント』は海以外に何も持たない漁村が舞台で、何もない人たちが風習と信仰を頼りに海に消えていき、そして誰もいなくなったのであった。本作も①と②の後で③に至るのだが、荒野をひたすら駆けて、最後に映るのは海である。そこはBaía de Todos os Santos(バイーアデトドスオスサントス)、全ての聖者たちの湾なのだろうか。

本作の③の描写は素晴らしい。貧&弱者の男が、①キリストの兄弟だと自称する山の司祭が死んだ後で、荒野で②カンガセイロ(ブラジル北東部の山賊集団)のコリスコに出会う。「血を流さない改革」について問うも答えは得られず、コリスコから妻と共に走って逃げる。レオス・カラックスの『汚れた血』のドゥニ・ラヴァンと同じように走るのだが、彼のように格好良くない。デヴィッド・ボウイもかからない。女に向かって走っているのでもない。転げるほど駆けて、妻を置き去りにしてしまい、唖然とする妻を見向きもしないで、荒野を駆けていく。コリスコとの別れに際して男は自分の子を産むと約束してくれた女を、失くす。そして誰もいなくなった、である。次のショットは『バラベント』的な海であるからだ。


☆映像

この最後の海は横移動しながら撮られている。汀のスローモーションで、カメラはY軸状を横にスクロールしていき、波が前後運動をゆっくりとしている独特の風合いのショットである。新鮮な映像体験であった。

本作は上記した以外にも、コマ落としではなくコマ抜きや、クロースアップを切り返してズームアウトすると実は30cmくらいの距離で見つめ合っていたり、あるいはその逆にして画面の両脇に開いた人物たちのその中間に別の人物が位置するようにクロスカットのショットを挟んだりと、撮影とモンタージュはかなり興味深い。

とはいえ、本作はもっと素朴な次元で魅力的なのである。本作の4Kリマスターは既にカンヌで公開されているようだ。しかし、現状のDVDは画質が悪い。荒野を吹き抜ける風が手持ちカメラのブレを悪化させたのか、テレシネ時の揺らぎなのか分からない。赤道に近い地域の何もない荒野や山道でハイキー気味に撮影したから強力な白色になっているのか、低画素でノイズが弾けているだけなのか。判別は難しい。そして、この種の映画のリマスターは難しいだろう。カンヌ公開版が成功していることを祈る。

劣化したことが良い方向に働くというのはあり得ることである。本作の目が痛くなるようなハイコントラストのモノクロームとふらつく画面は、何に起因しているにしろ、素晴らしいものである。また、女たちは男以上に隷属している。この映画では、男には自律か隷属かについて考える余地だけはあるように描かれているが、女には愛しかないように見える。その女たちの引き締まったクロースアップが非常に美しいのである。


DVDで視聴。画質と音質は良くない。
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