きゃんちょめ

スノーケーキを君にのきゃんちょめのレビュー・感想・評価

スノーケーキを君に(2006年製作の映画)
5.0
まずはじめに、大学の英語の授業で、他のクラスは、TOEICやTOEFLの対策をしているというのに、上質な映画作品を毎回上映し続けてくださったR・B教授に感謝したい。

次に、TEDのスピーチで、私を心底考えさせ、感動させてくれた映画批評家のRoger Joseph Ebertに感謝を捧げる。僕の映画との付き合い方は、彼の映画との付き合い方に影響を受けている。

そして最後に、いつも僕に的確なコメントやアドバイスをくれる東工大の友人に感謝を捧げる。

この映画は、俺のオールタイムベストである。僕の一番好きな映画です。

英語圏にはスクラブルというゲームがあって英単語の組み合わせで得点を稼ぐゲームなんだが、自閉症のリンダは与えられたアルファベットを瞬時に組み合わせて新しい単語をつくり、それを言語体系の中に再び戻して例文をつくることができる。こうやって彼女は遊んでいるのだ。天才的だ。どんな遊びなのかこの説明だけじゃ分からないと思うから、例をあげよう。俺がこの部分は翻訳をつけておく。俺はこのシーンで号泣して涙がとまらなくなってしまった。ほんとにすごすぎる。

【以下は俺の翻訳】
「ファンタスティック・フォーの登場人物Mr.ファンタスティックの話よ。彼の腕はゴムだから、200マイル、いえ、多分300マイルも伸ばすことが出来るの。彼は7日間、食べ物も水も光もない穴の中に閉じ込められていた。8日目に彼はやっと岩をほんのすこし動かすことができ、すき間から外へ出た。そして陽が差し込むところまで逃れたとき、その陽はちょうど山々の間を昇ってくるところで、空を白と黄色に染めていた。あたりは静寂に包まれていて、すこしあと、彼は彼をつかまえたドクタードゥームがもどってくるまえに、一瞬動きを止める。聞こえてくるのは自身の息づかいだけ。そのとき彼は圧倒されるの。この世界はなんて狭くて、そして自分はなんてちっぽけでとるに足らない存在なのだろうって。彼が振り向いたとき、彼の顔は空に向かっているの。そして、とっても静かな声で、誰にも聞こえないくらい静かな声で、こう言ったのよ。“dazlious(ダズリアス)!”」

Mister Fantastic from the Fantastic Four, he's got arms made of elastic so they can stretch for two, maybe 300 miles. He's been imprisoned in a cave for seven days with no food and no water and no light. And on the eighth day, he manages to loosen a rock and push his way up through the top. With his stretchy arms. And up into the daylight, just as the sun is coming up over the mountains, and filling the sky with this white-yellow light, and there's a stillness. And in the few minutes he's got before his captor, the evil Doctor Doom, returns, he stops for one second. And all he can hear is his own breathing. And he's totally overwhelmed by how big the world is and how small and unimportant he is. And as he turns around, we see his face look to the sky, and he says, very quietly, so that no one can hear him...

He says, ''Dazlious.''

これが、リンダが英語体系の中に作った新しい英単語、ダズリアスだ。彼女がやっているのは、ハイデガーが注目したヘルダーリンの詩みたいに美しい作業だ。

自閉症の彼女がゲーム感覚でやっていることは実はめっちゃすごいことだと思う。これができるひとってほんとかなり限られてるから。(まさに天才ってこういうひとのことなんだけど、まぁこういう人を自閉症とかバカとか呼ぶひともいるよね。)

このスクラブルのエピソードが端的に示していることはなんなのか。それは、「物事にはいつも、ちがう見方がある。」ってことだ。このことを自閉症患者とされている人々は、いつも俺たちにそう教えてくれているんだ。

このことは、ヴィヴィアンのお葬式でリンダの父親であるダークが読み上げるセリフでも強調されてる。

さて、だいぶ話が逸れた。話を戻そう。
(といっても、この批評の最後はここに戻ってくるけどね。)

この映画には、日本語字幕もなければ、日本では公開もされないどころか、DVDすら発売されてない。しかし、本当に完璧な映画だった。俺に英語を教えてくれた先生が俺に海外版のDVDで見せてくれた。

だから俺は見ることができた。字幕翻訳は、メールに添付ファイルをつけて無料で俺に送ってくださった人がいた。

シガニー・ウィーバーとアラン・リックマンが主演である。これほどの豪華キャストなのにこの映画を公開しなかったとか日本の映画業界はバカなのか。せめて字幕くらい付けろよ。

とくにシガニー=ウィーバーの演技は天才的だ。この女優は『エイリアン』シリーズで戦ってるだけではないことがよくわかる。

あと、教授が言ってたけど、多分アラン・リックマンとシガニー・ウィーバーが仲良くなったのってギャラクシークエストで共演したときだよね。

ほんとに素晴らしい、奇跡みたいな組み合わせを巡り会わせてくれたギャラクシー・クエストには感謝してもしきれないよ。


(以下には、字幕なくても誰でもだいたい観れるようにあらすじと伏線などの解説をここに書いておきます。)

イギリス人の中年男性アレックスは、殺人を犯し、出所した。会ったこともなかった自分の息子が初めて自分に会いに来るその日に、その息子が飲酒運転の車にひかれて死んだのだ。それに激昂したアレックスはその運転手を殴ってしまい、当たりどころが悪くてその運転手が死んでしまったのだ。その彼がカナダのオンタリオからウィニペグまで車で旅をする。その途中でヴィヴィアンという若い女性ヒッチハイカーを同乗させる。しかしその車はトラックに突っ込まれる事故に遭い、ヴィヴィアンは即死。アレックスは彼女の家族に謝罪するため彼女の家を訪れる。小さな町の彼女の実家には、自閉症の母親リンダ一人が残されており、リンダに娘の死を告げてもリンダはむしろアレックスが持っていた光るおもちゃの方に興味があるようだ。アレックスはヴィヴィアンの葬儀の手伝いをするために、リンダの家に数日間滞在することになる。警官クライド、隣家に住む美女マギーが主な登場人物。アレックスの過去が次第にわかっていく。そして誰もがリンダとの交流を経てむしろ自分自身が解放されていく。マギーも最終的には全く違う人物へと変わっていく。

イギリス式のペーソスとナンセンスが組み合わさったユーモアが本当に素晴らしかった。自閉症も全然悪くないよねって思えてくる。自閉症を病気扱いしているのはこちらの方だ。彼らは極めてロジカルに、そして楽しく、そして鋭く生きている。

娘のヴィヴィアンが死んでも、自閉症の母リンダは、まったく悲しまない。そして娘を事故に巻き込んだ男に、こんなことを淡々と言ってみせる。「私はもう娘には会えないわ。でも、娘にもう会えないのはあなたも同じでしょう。」と。

そしてこう続ける。「あなた、娘をわざと死なせたの?もしわざとじゃないんだったら、あなたには何の問題もないじゃない?
あなたはあの子を乗せてくれたんだし、わたしのスパークリーズ(光るおもちゃ)を持ってきてくれたんだもの」

リンダは徹底して事実関係だけを繰り返す。解釈ではなく、事物の関係や法則や秩序にのみ興味があるからだ。そして、この場面では、これがアレックスにとってどれほど安らぎになったか。これについては後で話す。


自閉症の母リンダは、「ヴィヴィアンが何を望んでいたか教えてくれ」と聞かれて、「ヴィヴィアンは生きていたかったと思うわ」と答える。非常に論理的だ。

こういうユーモアが悲劇をカラッとした笑いに変えてしまうなんてほんとにお見事。素晴らしい!

You better tell me about what you think Vivienne would want.

I know what Vivienne would want.
She'd want to be alive.


自閉症の母リンダは、「ヴィヴィアンを失なってお気の毒に」と意地悪な近所の人に言われたとき、「私は娘を失ってなんかいないわ。彼女はただ死んだのよ。」と言い返す。まさにその通りじゃないか。彼女にとって娘はただ死んだだけなのだ。勝手に失ったことにしやがって。

I didn't lose her. She's dead.

という母のセリフは、端的にこれを表している。それに、リンダにとってヴィヴィアンは全く失われてなどいない。ただ死んだだけだ。なぜかというと、終盤でリンダが躍り狂うシーンで、たしかにリンダはヴィヴィアンと一緒にダンスをしているからだ。

時間についての捉え方も本当に美しい。ヴィヴィアンのノートにこういうメモがでてくるのだ。

The past is only a memory, the future a fantasy. It's only in the present that we truly live.

過去とは記憶に過ぎない。未来とは脳内の妄想のことだ。まさにこの現在においてこそ私たちは真に生きる。

「過去にこれがあった。だから今後はこうなるだろう」という考えで生き方を狭める人は、現在の時制で話しているようで、実は過去のいやな記憶とまだ起きていない未来の心配の話しかしない。そういう人間にとって、現在を本当に生きるというのは、極めて難しい。過去や未来に人間はすぐにとらわれる。ヴィヴィアンだけはそうではなかったのだ。

アレックスの視点でストーリーを眺めるのも、とても面白い。最初アレックスはこういう本を読んでいる。

『Wipe The Slate, Light The Candle』
『過去を清算し、ろうそくに火を灯す。』

つまり、最初はアレックスは過去に囚われているのだ。この本のタイトルは映画全体のテーマなんじゃないかな。

過去に囚われたアレックスと現在に囚われたリンダという対比が序盤からとてもうまいのだ。

アレックスがいかに過去に囚われているかはこういうセリフからも分かる。

「僕はあの子に会ってすらいないんだ。だから僕が本当に失ったのは、『夢(“fantasy”)』だったんだ。どうしようもない『夢』だったんだ。僕はこの4年間、会ったこともない人間のことを思って悲しみに暮れていたんだ。そうしたら今度はまた、ヴィヴィアンで同じ思いをしている」

つまり、彼は「息子が死んで悲しい」というより、「自分の夢が壊れて悲しい」のだ。なぜなら、リンダにもそう言われた通り、実はアレックスは息子に会ったこともなければヴィヴィアンとも他人なのである。アレックスは、まさしく幻想に基づいて行動を選択している囚人なのだ。

しかしアレックスは、自閉症のリンダとの交流を通して、そんなの今現在とは何の関係もないことがわかってくる。

この意味で、この映画は、真の意味で、ある男の贖罪の映画だとすら言えるだろう。自分が自分に許される映画なのだ。

リンダに、ヴィヴィアンを轢き殺したことを謝罪しに来たトラックの運転手に対して、アレックスはなぜかブチ切れるんだけど、それはなぜか。

なぜかってそりゃ、自分に見えるからだよ。かつてアレックスも人を殴り殺したんだ。そんな自分を許せないんだ。

こうやって罪の意識に苛まれている人間は他人すらも許せない。これがこのシーンだけで表現されてる。そんなアレックスに対して、リンダは何ていうか。俺はこのシーンで涙がとまらなくなった。

「わたしはヴィヴィアンにもう会えない。あなたもヴィヴィアンにもう会えない。それで、あのドライバーもヴィヴィアンにもう会えない。みんなが乗り越えなくちゃいけないの。わかった?早く私をこのトランポリンでボヨンボヨンさせてちょうだい!」

このセリフには真理がある。死はだれのせいでもない。みなで、悼むものなのだ。

ウィルソン・ベントレーのエピソードの中の、“a gift from kind winter”という部分が最後の贈り物の明らかに伏線になってる。だって、劇中の最後に贈り物を送るからな。

それに、隣人マギーが最後にリンダのゴミ出しをやってくれた。これにどれほどの意味があるか。彼女も変わったのである。


音楽の使い方もまさに見事なのである。音楽とシーンが伝えたいメッセージによって統御され、規定されている。たとえば、メガネという過去を象徴するアイテムに異常なこだわりを見せるアレックスに対して、そこでかかっている音楽はJust looking(ただみてるだけ)なのだ。

いま俺は登場人物が本当に言いたいことと音楽の意図が同期していると言ったが、それは最後にこの曲が流れることからも明らかなんだよ。歌詞をすべて和訳しておく。

(なぜなら、日本語字幕がないから。マジで日本の映画業界はなにをやってんの?さっさと日本でDVDくらい発売してください。)


Hello Sunshine
やあ、お日様

(So hard to say goodbye
Meaning it today
I've said goodbye before
Leaving you alone
By the sea
So hard to say goodbye)
(君にさよならを告げるのはつらい。今日君をこの海岸に残していく前に、さよならを告げるのは。)

Hello sunshine
Come into my life
やあお日様。
僕の人生に染み込んでおくれ。

In honesty it's been a while
Since we had reason left to smile
実は、最後に笑えたのはしばらく前なんだ。

Hello sunshine
Come into my life
やあお日様。
僕の人生に染み込んでおくれ。

I'm a minger
You're a minger too
僕はのけ者。
君もそうだよね。

So come on minger
I want to ming with you
でもいいじゃん。
君と一緒にのけ者ができるなんて。

In honesty it's been a while
Since we had reason left to smile
実は、もうしばらく笑っていなかったんだ。

Hello sunshine
Come into my life
やあお日様。
僕の人生に染み込んでおくれ。

You're not so innocent
You're a disgrace to your country
君は無罪じゃない。
君は君の国の恥さらしだ。

If you fled a million miles
I'd chase you for a day
でも、もし君が百万マイルも逃げちゃったら、僕はそれを1日かけて追うよ。

(If I could be bothered)
(もし君のことが気になってたらだけど。)


Hello sunshine 
Come into my life
やぁ、お日様。
僕の人生に染み込んでおくれ。



そして最後のシーンだ。アレックスの顔は陽の光に照らされている。そして、過去の罪の意識の象徴であるメガネを、今度はサングラスへと掛け替える。

顔を空に向けて、そしてこんな気持ちになるんだ。もうここまで読んでくれた人なら、それがどんな気持ちかわかるだろう。

“dazlious(ダズリアス)!”
きゃんちょめ

きゃんちょめ