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ダンサー・イン・ザ・ダークのordinalのネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

トラウマになるくらいの衝撃的な無力感は切なさのレベルを越えている。

お向かいさんの旦那がただただ悪いのだけれども、自分の心を殺して闇の中に沈んでいく主人公の誠実さと自己犠牲の精神が全てを招いているような気もしてしまう。主人公の視覚は光を失い闇へ突入していくわけだが、状況が苦しくなるばかりの現実の闇を突き抜けようとする精神世界の光は、より一層闇を引き立てる。

一人の視力は一人の命や尊厳、親の存在と引き換えて良いものなのかを考えさせられた。画中では親子関係が前提としてあるため親が自らの命と引き換えに子の未来を優先させる決定権を持つ。しかし親子関係を抜きにすると、この問いが正しいのなら"見ること"="生きること"と捉えられるが、それはあまりにも極端で薄情であり、盲目の人も楽しみを持って生きているわけで、見ることと生きること、つまり視力は命と釣り合うものではなく、本来引き換え不可能なはずである。この作品では、五感の中でひときわ多くの情報を得る視覚の価値が一つの大きなテーマとして鑑賞者に問われているのだろう。

個人的には日常生活の中で家電やセミの鳴き声からよく歌詞を連想するのだが、それらの環境音を総体的に音楽として捉えた上に擬音を口ずさみながら踊る行為がミュージカルの場面になっていることには衝撃を受けた。これはミュージック・コンクレートの一種と言って良いのだろうか?
汽車の場面は大自然の映像と機械音が合わさっていることに新鮮味を覚える。歌中は敵も味方も関係なく共に踊っていることがやや不気味だった。
ミュージカルの妄想によって工場などの楽しくない情景が楽しいものに見え、その効果が逆に労働の単調さと苦しさを想起させて鑑賞者を更なるダークネスへと引きずり込んでいくのである。主人公の声質もなんだか苦しさを助長する。


夜更かしして大号泣しながら観ていた私の目はこの映画によってすっかり腫れ、明日の顔面が思いやられる。
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