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ダンサー・イン・ザ・ダークの犬のネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

今作は鬱映画ではない。セルマは自分勝手だ。優しい手を払いのけ、1人で抱え込む。私みたい。私みたいだから、嫌いだけど愛おしい。

私は常に「これ以上幸せを望んではいけない」と考えているし、エクストラで幸せを感じると「いま人生が終わっても悔いがない」と思ってしまう。

そして、子供を産むことに躊躇いもある。もし子供を産んだら「自分のせいで不幸になるから、自分で責任をとって幸せにしなければ」と絶対に考える。

一昔前の私ならきっと、セルマと自分を重ねてもっと感情移入できただろう。

しかし、良くも悪くも狡猾になってきた私は、利用できるものは利用するし、そばにいてくれる人は「そばにいる」という事実だけを見て信じるようにした。セルマは結局、誰のことも信じられなかったのかもしれない。

辛くても弱音を吐かず、心の中でミュージカルを演じて現実逃避するセルマ。しかし、そんな人間はいつか壊れてしまう。自分の心を押し込めている自覚がない人は厄介だ。利用されても、搾取されても、懸命に耐える姿を美徳と捉える。

故に、ラストシーンは感動した。やっとセルマが自分の感情と生への執着を出し、怖い、苦しい、と息子の名前を叫べたのだから。首に縄がかかる前にそう言えたなら、きっと何もかも違っていた。

セルマは聖母でない。人間なのだ。言い訳をしたい、約束を破りたい、息子と生きたい、孫の顔を見たい、死にたくない、当たり前の願いを持った、人間なのだ。

「死は救済」と言う言葉は好きじゃない。
なぜなら、「一瞬の死より生き地獄の方が辛い」と思うから。 

しかし、だからこそ、仮に親子2人盲目になり、殺人犯とその息子にカテゴライズされた人生が幸せなのかはわからない。だから、この終わり方はある種ハッピーエンドだろう。

セルマは夢を叶えた。人生の全てをかけた我儘の落とし前をつけた。それは、ある意味幸せだし、彼女の強さだ。

だから私は、今作を鬱映画だとは思わない。それに今作は、永遠に続く映画だ。私たちが望む限り、ずっと「最後から2番目の曲」が鳴り続けるから。
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