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ダンサー・イン・ザ・ダークのNMのレビュー・感想・評価

4.3
心身が健康な時に観ることをおすすめ。どっしりと重い。

チェコからアメリカへ移住してきたセルマ。
工場で働き、仕事が終わるとそこの仲間とミュージカルを練習している。音楽もダンスも大好き。リズムが聴こえると、彼女は頭の中でいつも歌い踊る。
空想の中でだけは彼女は打って変わって輝く。世界を旅することも、断絶した人々と協力し合うことも、死者と話すことも、憧れのスターと踊ることも可能。
いつもはうまく言葉にできないことも、空想の中では全てを表現できる。
音楽とダンスと空想は彼女の救いであり、生きる力そのもの。

セルマは、簡単な歌やダンスの指示や、仕事のルールなどをどうもあまり理解せず、空想しがちで集中力散漫。
英語をマスターしきれていないのも一因としても、その言動はとても子どもっぽい。

それを周囲の人々はほとんど怒ったりせず、子どもに言って聞かせるように優しく彼女を助けている。言ってもなかなか理解しないので、根気よく説得し、それもだめならこちらが折れる。
とにかくセルマは常に周囲のサポートが必要な人らしい。
いつも笑顔でそれがかえって健気で切なく、だからこそみんなから愛情を寄せられてもいるのだろう。

しかし、彼女は自分から頼むことは殆どない。断ってばかりで、人に頼ろうとはしない。そして人を決して憎まない。

分厚い眼鏡をかけており、実は文字を読むにも苦労しているが、職場では秘密にし、視力検査もカンニングをして通った。バレたら仕事を失う。
いずれ失明することは分かっている。

給料は戸棚に溜め込み殆ど使わない。時々大好きなミュージカル映画を観に行くぐらい。
一刻も早く手術代を貯めねばならないから。自分ではなく、病気が遺伝している息子のため。
しかし視力は急速に悪化、彼女は仕事でミスをしついにクビに。

頼れる家族親類はいないらしく二人きり。息子のため強くなるしかないセルマ。しかし運命はその努力の猶予すら許さない。

始めはそれなりにきちんとしていた身なりが、髪や服がどんどん乱れていくのがリアル。元から見えない人ならもう少し慣れるチャンスもあるのかも知れないが、急激に見えなくなればそれは追いつかないのだろう。

「ミュージカルでは恐ろしいことは起こらないわ」という台詞が何とも皮肉。

明るく元気だった歌は、後半になると不思議な雰囲気に変わっていく。始めは周囲の人と一体になって踊っていたのが、徐々にみんながついてこなくなり、最後の歌だけは空想ではなく現実。
最後こそ空想だったらどんなに良かっただろう。

一旦疑惑がかかると殆どの人が手のひらを返すのは、きっと現実もこうなのだろうと思った。そんな社会の動きをよく見る。悪いイメージがついてしまい、冷静な判断ができなくなる。
好意的に受け取られたはずの過去の言動は、揚げ足を取られ、裏目に出、好ましい行動は忘れられ無視される。一時はみんなであんなに幸せに笑い合ったのに。
ましてや一度でも有罪がで出たら、ああ罪を犯したのだ、私の信用を裏切ったのだ、とどうしても思い込んでしまうのだろう。再審していたら結果は違ったかも知れないのに。

彼女はもともと綱渡りの人生ではだったが、ふとしたきっかけで人生が転落してしまうということは誰にも起こりうると思う。自分が原因となる場合もあれば、他の追い詰められた悪意の人によって落とされることも。

自分が彼女の立場だったら同じ選択をするのか考えてみたが、正直見当もつかない。彼女は誰よりも、目が見えなくなっていく恐怖と、それを抱えた社会での立場の辛さを知っていた。
何としても同じ思いを息子にさせたくないと考えたのだろうか。
何度か「遺伝することを分かっていて産んだ」と語る。どことなく、自分を責めるかのような雰囲気を感じる。自分の決断で産んだのだから是が非でも自分の責任で息子を幸せにしなければならない、という決意、執念を持っているのだろう。そのためなら、何も恐れない。

命に替えても子を産み、育て、幸せにしたいと望んだ。
それはそんなにいけないことだったのだろうか。
あまりにも代償が重くはないか。

ジェフは最後になって泣きながら「なぜ産んだ?」と尋ねる。残念ながら彼女の気持ちが全く理解できていない。悲しい。
親友キャシーは、始めは断固反対していたが、最後に折れてくれたのが救い。彼女だけは絶対に見捨てず、常にともにいてくれた。

残酷な運命を生きた、純粋でたくましい、愛の人の一生。
NM

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