“「最後ではない」と言う言葉を”
何を観たんだろう…。
幸せ?不幸せ?
光?闇?
そもそもこれは鬱映画なのか?
部長はじめ、ミュージカル部の皆さんのレビューも読んだ。
フォローさせて頂いている皆さんのレビューも読んだ。
少しだけど、知識も前情報も入れて臨んだ筈だったのに。
と言いながらも思うところがあるので、そのままを書こうと思う。
この映画には人間が詰まっていたと思う。
紛れもなく人間が詰まっていた。
愛情も友情も。
憎しみや哀しみも。
喜びも不安も。
絶望も希望も。
欲望も貧しさも。
嘘も真実も。
金も社会も。
大人も子供も。
静寂も喧騒も。
暗闇も眩しさも。
耳も目も。
手も足も。
生も死も。
たくさん、たくさん。
それくらい大抵の映画に出てくるでしょ?ではなく、間違いなく“描かれている”。
写っているだけでなく、描かれています。
人間のほとんどが描かれていたと思えてならないのです。
“ミュージカル”を取り入れたことが余計にそう思わせたのかもしれません。
だけど、どうしても人間(=自分)を重ねてしまう。
僕等は絶望や希望、喜びや哀しみ色んな感情を繰り返しながら生きています。
不安に押し潰されそうになっては、なんとか膝をつかないようにと踏ん張ってみる。
嬉しい、楽しい、悲しい、苦しい。
その時々の様々な心の声を音に乗せて叫ぶのです。
“最後から2番目の歌”と言う言葉が出てきますが、ミュージカル(=歌)にはもう一つの意味があると思います。
それは、歌声は永遠であると言うことです。
ミュージカルが心の声だとするのならば、それは魂とも言い換えられる様に思います。
たとえ肉体が滅びても、その声は誰かに残っているだろうし、その誰かがそのまた誰かに伝えて行くかもしれない。
魂は無くならない。
歌は永遠に続いて行くのです。
目の前にある不安や恐怖もまた決して無くならないかもしれない。
それでも、歌声は不安や恐怖と呼ばれる闇も包み込む光なのだと思います。
人生は矛盾や葛藤の方が多いのかもしれない。
だけど、誰にでも光はあると言うことを教えてくれている気がします。
光は案外近くにあるのかもしれないし、自分で創り出すものなのかもしれない。
どんなものであれ、見出した光はきっと自分になる。意味になる。
この映画はとても難しい。
多分、僕の解釈は随分的外れなのだろうし、良く言っても映画のほんの一部しか理解出来てないんだと思います。
だけど、はじめて観ただけでこれだけの感情が押し寄せてくる様な映画です。
目で観るだけでなく、心で観なければいけない様な。
心の目を育てて、また観てみたい。
観て良かった。
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この作品が“課題”の最後になりました。
きっかけはミュージカル部内での僕の相談。
“怒M映画”を観て、悩みを吹き飛ばす。そんな課題でした。
世の中には僕が経験してきた悲しみなんて比にならない程のそれが転がっているし、実際に苦しんでいる人が大勢いる。
苦しみに大小つけるのも違うのかもしれないけれど、そうすることによって和らぐ苦しみもあると思う。
今回の課題の中で色んな悲しみや苦しみを目撃してきけれど、観たこと感じたことを忘れずに自分にして行きたいと思います。
部長、がんがんさん、ミュージカル部の皆さん、レビューを書いて下さった皆さんありがとうございました。
これからも精進します。