色々な事を端折り過ぎて、いきなりイエスが現れて、裁判にかけられ、磔に処されたようにしか見えない。
この映画の制作費は、カトリック信者からの寄付で賄われた為、こうせざるを得なかったのかも知れないが、例えばいきなり磔のシーンから始めて、そこに到るまでの経緯を、前日譚的回想で追う形でも良かったのではないか?だが前述の通りカトリック信者の寄付で作られている為、聖書に忠実に拘ったようだ。
本作はマタイによる福音書の二十六章から二十八章までを中心に描かれているが、なるほど、確かに再現度は高い。しかし、聖書にはそこまで仔細瑣末な所まで記述されていないし、これはあくまで商業映画なのだから、もう少しキリスト教関係以外の人にも楽しめる工夫が必要だったのではないか?歴史物としても、宗教物としても中途半端と言うか、消化不良な出来栄えの作品となってしまったのが惜しまれる。