喜連川風連

パルプ・フィクションの喜連川風連のレビュー・感想・評価

パルプ・フィクション(1994年製作の映画)
3.5
個別に見れば崩壊しているが、全体を見れば調和している。

そんな離れ業をやってのけた名画。

映画の脚本において意味のないセリフ(会話)はご法度とされるが、そんなの関係なし。
特に意味のないセリフの応酬。
異様に長く回すカメラ、意味ありげに意味のないシーン、それらが展開の予想を困難にし、これまで見たことのないエンタメに仕上げている。

緊張と緩和。タランティーノ遊園地の開幕だ。

劇場で観て、スクリーンから逃れられないことを逆手にとった洪水のような言葉とシーンの応酬。

動画配信サービスで、片手間に観ては魅力は半減してしまうだろう。

「このシーンがもっと観たかったんだよな!」というタランティーノの声が聞こえてきそうなほどに、映画に対するリスペクトを感じる。

神を信じたサミュエルジャクソンは救われ、偶然だと処断したヴィンセントは殺された。

全ては巡り合わせで成り立っている。

あそこでヴィンセントが改心しなかったら、ブッチは撃たれて死んでいただろうし、ボスも捕まることもなかった。

普段見ている映画も、描かれていないだけで、多くの偶然が重なってそのシーンになっているのではないか?
とそう思わずにはいられなかった。

カットの長さとセリフは肌感覚に合わなかったが、やりたい放題やった自主制作映画のひとつの到達点なのかもしれない。
喜連川風連

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