ニューランド

コント55号と水前寺清子の神様の恋人のニューランドのレビュー・感想・評価

3.3
野村芳太郎というのも、『鳩』『伊豆の踊子』等を除いては私には縁遠い人だが、それでも、映画の真髄を力まず何気にある種の自然体の品格で表現し尽くしてきた、映画の興業全盛から斜陽期にかけての、貴重な、今となっては教えられる事の多い位置をキープしていた人であった。
コント55号を中心としたライブ・アドリブ感覚の圧倒的な当時の喜劇人の持ち味・パワーをそのまま活かしつつ、それが同時に商業映画のキャラが信念・生活感覚と自然に絡まるストーリーの部分に溶込み、何より数百という単位毎に位置と存在を表し示す映画独自かつ生命線というべき一般に短いカットにはまっている瞬間瞬間の息づき(アングル迷いないポジション切換やCUすら浮き立たぬサイズ取り)、ちょっと見とれて微笑ましく観ていた。
清水港より少し奥まった地方の舞台、本人たちの演じる高名喜劇人にそっくりさんの多い住民たち(それに繋がるある種ハイライトの[ザ・]タイガース・ショー)、地元の店々から土地を(近代的に)買い上げ東京進出店に入れ替えるスーパー化を秘かに進める有力やくざのチョコマカ進退、これらの流れにはまり(知らずにor生活上)悪にも傾く(が、ある面あっさり目覚めor仕打ちを受ける)、時期を違えてここに流れ着いたふたりの主人公。’60年代後半に即しひねりもなく、それぞれが分相応にしっかり生き抜くドラマは、今に増して活要素・生活感にあふれる心情に充ちている。短い出で場をさらうのは役所上司の南州太郎か。
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