ポンコツ娘萌え萌え同盟

十誡のポンコツ娘萌え萌え同盟のレビュー・感想・評価

十誡(1923年製作の映画)
3.6
1956年版のデミルのセルフリメイクは未観賞。本作「十誡」では旧約聖書のモーゼの出エジプト記と(1920年代当時の)現代劇の十誡を破る男ダンの破滅で構成されている。
この構成で彷彿したのは、これまたデミルの1916年に公開された「ジャンヌ・ダルク」

本作も現代と時代劇を映している。しかし「ジャンヌ・ダルク」に関しては物語の大半はジャンヌ・ダルクの史劇に当てており、現代といっても前半と終盤にとってつけて第一次世界大戦の戦意高揚的な扱いだ。
対して本作はモーゼの物語とダンの物語半々といった感じの内容だ。
これはデミルが現代で十誡の信仰が軽くなった世相に警戒したかったのかもしれない。予想でしかないが。
本作のモーゼ編で救済したイスラエル人の堕落と十誡を破った者への罰を描いて。そこから現代編のスタートだ。
ただ本作は「罰」の側面が強い。ほぼ人間の倫理として存在する十誡を破ったダンが破滅していくのはたしかにそうだ。本作にある兄のジョンとの対比ともう一点で十誡を強く信仰する母親としての像もある。
無神論的なダンも十誡信仰の母親のキャラクター像も正直やりすぎなほど強烈だが、母親の残した言葉の「(教えてたのが)神への恐ればかりだった。愛こそが何よりも大事なのに」を思うと本作の本当に伝えたいことは神は愛で伝えていくべきなのかもしれない。
なのでこの現代編はある意味一つの失敗物語と教訓でもある。

映像としてはモーゼ編の方が圧倒的に力が入ってる。エジプト戦車を阻む火の柱から、モーゼといえばやっぱり割れる海。1923年版でも勿論ある。特撮をふんだんに使っているのも本作の面白さの一部である。
なんといてもあの大人数のエキストラ数が本作の内容に冠を書けていると言っても過言ではない。エジプトから出ていくイスラエル人の旅の姿。あまりに人の多さもあってその場面の全体を映したところに見応えがある。
対して現代編はモーゼ編を見ると少し力不足に感じる。目を奪われたのも教会の崩壊くらいで少し残念だった。