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イントゥ・ザ・ワイルドの海のレビュー・感想・評価

イントゥ・ザ・ワイルド(2007年製作の映画)
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誰かと居て話したり笑ったりしている時の自分と、何かを読んだり観たり聴いたりして作り上げていく自分。どっちが本当のわたしなんだろう。わたしはそれなりに、自分を賢い人間だと思っている、望んでいることや伝えたいことの輪郭にふれていくことは、それなりに、上手にやっていると思う。クリスが「記号」になるのを拒み逃げ出したのだとすれば、きっとわたしにとっては逃げ出すことこそが「記号」になることに繋がる。長い間続いた自問には、それで終止符を打ったんだ。時々ぞっとするほど冷たいことを考えてるときのわたしも、猫が眠るのを見てるだけなのに泣き出してしまうときのわたしも、どこかへ行って、もう二度と帰ってきたくなんかないと思ってるときのわたしも、正しく、同じく、わたしだ。恋愛や友情の関係を好むひともいれば、ひたすらな隔絶を望むひともいる、停電が起きれば死んだように静まり返るだろう都会に住み続けるひともいれば、いつ流されるか分からない海辺に家を建てるひともいる。だから憎み合う、誰かに対して優越感/劣等感/違和感をおぼえないひとなんてきっと居ない。それは嫌なことだけど、不自然なことじゃない。でも、自分がどんなに哀しくて恥ずかしい人間か正直に話してみたところでそれが真実だとは思えない。嘘も演技もわたしの実体のひとつであるはず、退屈のたび欲するのは、人生を、物の見方を、もうこれ以上できないくらいに変えてくれるような光景。映画にだって、それを示唆するシーンは数えきれないほど存在する。小鹿や、野良犬、一頭の馬、夜明けの海、水道管、ビルの屋上。物語がわたしたちに与える「記号」は、ディメンションのわずかな違いだけで複雑にも無意味にもすがたを変える。それをどちらに向けるのかは全部自分次第なのだと思う。ひたすら走り続けて、銭湯にでも寄って、疲れたら車の中で眠る、朝起きたらPA入って顔洗って、また走る、たったそれだけの旅がわたしは好きだよ。世界中がとまるし、呼吸はとまらなくなる。目をあければ見えるように、耳をすませば聴こえるように、手をのばせば届くよ。いつだってゆびにふれるよ。
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