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IZO 以蔵のdaiyuukiのレビュー・感想・評価

IZO 以蔵(2004年製作の映画)
4.0
1865年(慶応元年)5月、岡田以蔵(中山一也)。土佐勤皇党首領・武市半平太(美木良介)に操られ、「天誅」の名のもとに数々の幕府要人を暗殺、「人斬り以蔵」と恐れられたテロリスト。彼は今、磔にされ処刑されようとしていた。以蔵の体を仕置人が槍で何度も何度も情無用に刺し貫く。以蔵は絶叫を挙げ、死に絶えた。享年28歳。しかし、以蔵の怨念は消えることがなかった。彼の魂は時空間を超越し、都会の片隅で廃人のように生きるホームレスに宿る。すると、ホームレスの肉体は変貌を遂げ、究極の殺人マシンIZOへと生まれ変わった。突如、現代の東京に降臨したIZOの脳裏に焼きついていること。それは生前、自分を犬畜生の如く扱い捨てた権力者どもへの怒り、そして人斬りの記憶のみ。彼の脳裏に生前、半平太の説教が響く。「言うてみや、以蔵、革命とはなんぜよ?」「人を斬る事!」「なれば斬れい、以蔵、斬って、斬って、斬りまくっちゃれい!」「テンチュウウウウウウッ!!」怨念の塊と化したIZOは夜のストリートを脱兎の如く駆け抜け、空を飛ぶ。その勢いは留まることをしらず、遂に時空を越え異空間に突入するのであった。「来る、IZOが来る…」。この世とは違う世界・位相。過去・現在・未来を結ぶ空間の絶対的なシステムを意味するそこを把握する権力の中枢・貴族院。そこの領袖となった半平太は、IZOの到来を察知した。闇雲な怒りのパワーにまかせ、時空を超越し続けるIZOの存在は、すべての時間を繋ぐ位相~システムにとって悪しきノイズだった。そんなIZOの前に、かつて彼と因縁のあった者たちの怨霊が次々と立ちはだかる。しかし、彼らの怨念も、それ以上の憎しみをたぎらせて突進するIZOの殺人剣で一刀両断に斬り裂かれてしまう。 かつては武市の飼い犬となって人を斬り続けたIZOだったが、今では一匹の獣となった彼には佐幕も勤皇の思想もない。ただ目の前に立ちはだかった敵を斬る! IZOは殺戮道中のなかで垣間見る戦後民主主義の生んだ良識や世間の常識に対し、怒りをあらわにする。まずIZOは、手始めに貴族院に属する僧院に特攻し、並み居る僧兵たちを大虐殺。そして僧院の長老たちに対し、「ありもせぬものをあるとウソぶくペテン師どもめ!」と叫びながら放尿し、罰当たりな挑発をした上で皆殺しにする。さらに奥の院に座る大僧正を刺し殺し、こともあろうに現世全地球人共通の大地母神の股間に魔羅を突き立てた。位相はIZOの怨念のカオスと化しつつあった。この事態に位相・貴族院の支配階級である宰相(ビートたけし)、財界のドン、官僚の長(岡田眞澄)、軍閥の将軍(片岡鶴太郎)、学界のドンといった、システムの支配階級に属する者たちは動揺した。「排除する対象なれば、即座に抹殺殲滅いたすのみ!」。貴族院はIZOを消去する為に、あらゆる時空から刺客を送り込んだ。同心、警視庁特殊急襲部隊SATといった国家権力の下部から凄腕の剣客、ヤクザ、博徒、ヤンキー、PTA軍団、鬼といった精鋭たちがIZOの命を狙う。常識を逸脱した死闘を繰り広げられた。全身に数え切れないだけの傷を負うIZO。しかし、相手をどれだけ斬っても鎮まらない得体の知れない憎しみは、IZOを究極の戦闘体へと進化させていた。そしてIZOは怒りの赴くまま血煙街道を爆走する。そんなIZOの目の前に1人の女性サヤ(桃井かおり)が出現。彼女は自分とIZOは前世から結ばれていた、と語った。「わたしはお前の魂の片割れ…お前と出会うべき定めの」。IZOの脳裏にサヤとのつつましくも楽しかった暮らしの記憶の断片が一瞬、甦る。が、そんなささやかな幸せの記憶もIZOの暴走を止めることはできなかった。果たして彼の怨刃は何を斬ろうとしているのか。
強者は、弱者を利用し使い捨て体制を保持していく。使い捨てられ死んでいった者たちの怨霊が、岡田以蔵の怨霊と共に悪鬼となり、体制に盲目的に従う市民や体制を強化する司法や警察そして日本の象徴である◯◯にまで刃を向ける以蔵。「マトリックス」でのネオが、エージェント・スミスやマトリックスに繋がっている市民を片っ端から潰していくようなアナーキーさが、痛快。司法や警察や国家すら否定するパンクさが、ヤバい。
そんな以蔵の行き場のない魂の叫びを代弁する友川カズキのブルースなフォークソングが、渋過ぎる。
歴史映像を挿入するなどメッセージ性が高いアナーキー映画。
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