netfilms

都会のアリスのnetfilmsのレビュー・感想・評価

都会のアリス(1973年製作の映画)
4.3
 陽炎揺らめく空を飛行機がゆっくりと飛んでいる。男はアメリカの夏のじれるような暑さを避けるかのように、橋の下に佇みながら、ずっと波を見つめている。彼は被写体となる風景をじっと見つめ、ここだと思ったところでポラロイド・カメラのシャッターを押すのだけど、フレームに切り取られた写真と現実との風景は微妙に齟齬があり、納得出来ない。紀行作家のフィリップ・ヴィンター(リュディガー・フォーグラー)はすっかりスランプに陥っていた。被写体となる風景が悪いのか?それとも自分の腕に問題があるのか?落ち着かない様子で愛車を走らせる男は神経症的な病に陥っている。うざったい湿気から逃げるように、ビールを飲みながらロックンロールのドーナツ盤にリズムを合わせる。編集長に文章の締め切りについて発破をかけられるのだけど、アメリカ旅行記は1文字もマスを埋めることはなく、代わりに申し訳程度に風景を切り取ったミステイクの写真ばかりが残されるだけだ。案の定支援金は底をつき、フィリップはアメリカから故郷のドイツへの強制送還を余儀なくされる。だが飛行場ではストライキのためドイツ行の飛行機は飛ばず、アムステルダムを経由する飛行機が翌日に飛ぶという。後ろには男と同じ飛行機に乗るか否かで迷っている母子がいて、英語の苦手な母親はフィリップに一緒にアムステルダムへ行ってくれと願うのだ。そんな男の身なりを怪訝そうな表情で娘アリス(イェラ・ロットレンダー)は見つめている。

 母親の離脱の理由などここでは申し上げない。飛行機に搭乗するのはフィリップとアリスだという事実だけが、2人を心底憂鬱にさせる。憧れの地アメリカから失意の体で帰国しなければならない31歳の男は、行きがかり上の理由で知らない人の子供と一緒に、知らない街で降りなければならない。とんだ貧乏くじだと思いながら男は飛行機に乗るし、少女も落ち着きのない怪しげな大人一緒に連れられてどうして出掛けなければいけないのか途方に暮れる。案の定アムステルダムで落ちあう筈だった母親は現れず、2人だけの時間はまたしても引き延ばされる。様々な乗り物を乗り継いでの旅は、否応なしに2人を接近させる。フィリップは最初は無口で、不機嫌そうなアリスの機嫌を取ろうと躍起になるし、口が達者なアリスは31歳のうだつの上がらないお坊ちゃんに対し、母親のような小言を吐いて見せる。一番印象的なのは、フィリップが撮った写真を「空っぽで見事なまでに実体がない」と子供心に物事の真理を言い当てたことだ。子供じみたフィリップ同様に、アリスの母親(リザ・クロイツァー)も現代で言うところのネグレクトであり、自分優先で娘のことなどさして気にかけていない。決別すべき母親を持つ少女もまた、親切なフィリップに救われる。お金はないが時間だけはたっぷりあるフィリップは、アリスの生家探しに辛抱強く付き合ってやるのだから。

 うだるような暑さを逃れるために、2人が泳いだ海水浴と準備運動の疑似父娘のようなペーソスとおかしさ。1枚の写真だけを手掛かりにしたおばあちゃん探しの旅は呆気なく終わるが、2人の旅はこの先もまた引き延ばされる。映画の中で切り取られた時間は、あたかも果てることなく永遠に続くような錯覚を我々に抱かせる。よく眠り、ふいに目覚める2人の姿がひと際印象に残る作品だが、まどろみの中にいるのはひょっとしたら我々自身なのかもしれない。
netfilms

netfilms