かじドゥンドゥン

都会のアリスのかじドゥンドゥンのレビュー・感想・評価

都会のアリス(1973年製作の映画)
3.2
アメリカ旅行記の原稿を編集社に納めるはずが、ポラロイドカメラで撮りためた写真とメモの山だけを収穫として、帰国を決めたドイツ人男性フィリップ・ヴィンター。ところが、ドイツの空港がストライキ中であるため、翌日の便でいったんアムステルダムへ渡ることに。同じ事情で帰国が難しくなった、英語の苦手なドイツ人女性を、空港のカウンターで助けてやったフィリップは、彼女とその娘アリスとともに、同じ宿で一晩を過ごす。

ところが、その女が、アムステルダムで落ち合おうという置き手紙とともに、娘アリスを残して姿を消してしまう。しぶしぶフィリップは、アリスとともにアムステルダムに渡るが、そこにも母親は現れないため、今度はアリスの親戚を探してドイツの町々をめぐる。そして旅を経ながら、一種の擬似父娘のような関係が生じ始めたころ、警察ずてに、アリスの母親と連絡が取れ、アリスはミュンヘンへと移送される。同伴したフィリップは電車の中で、旅の物語をようやく書く気になったことを、アリスに告げる。

ホテルの一室で女が喝破するように、自分の存在自体があやふやになると、人は不安ゆえに、自分が体験したことを写真に残し、自分の存在証明に当てようとする。そして、自分の体験があたかも特別であるかのように思い込んで語るが、その語りも所詮は自分自身への言い聞かせであり、本質的には独り言に過ぎない・・・。図星を指されたフィリップ。アリスの母親探しの旅が、フィリップの自分捜しの旅へとオーバーラップする。ただし、その末に必ずしも〈自分〉が見つかるわけではなく、むしろその探すプロセス自体が、存在しているという実感に結実し、これから書かれるべき物語の本編をなすことになる。