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さようならCPのzatのレビュー・感想・評価

さようならCP(1972年製作の映画)
4.0
原のカメラによって可視化される、彼らを見下している人たち。CP当事者の横塚は、カメラを構えることで、単なる被写体であることを拒み、見ることの主体性を獲得する。視線の政治的な関係が反転する。ただ見て、見下していた相手に「見返される」。見下していたのは他でもない、この私だ。

音声と映像の大幅なズレ。脳は同録同期が当然と思いこんでいて、強烈な違和感と理解の困難さを感じる。発声や歩行の難しさというCP当事者の肉体の「思い通りにならなさ」と重なるようでもある。

車椅子から降りる。這いつくばるように都市を雑踏をゆく。道ゆく人々とカメラの前に晒された当事者たちの肉体の雄弁さ。
カメラ目線の独白で語られる性体験。懸命に絞り出される言葉の大半を私たちは聞き取ることができない。

原監督はいわゆる画づくりをするタイプではないが、被写体と真っ向から取っ組み合って、その人物が持てるエネルギーを掴み取るための演出(操作)は厭わない。横塚がカメラを持っているのは監督の意図的な演出らしく、まんまとしてやられた。

「かわいそう」「気の毒」と言って募金してゆく人たちも、路上を這いつくばる姿を目の端で見やってそっと避けていく人たちも、自身との間に線を引いている点で本質は変わらない。CP者の両親に育てられたらしい子どもが容赦なく「どいて」と言って身体をはたく身振りのフラットさが際立つ。

カメラを持って街頭に繰り出すのも、一糸纏わず身体を路上に投げ打つのも、相当にパフォーマティブであり、もちろん原によって仕掛けられたものであるが、それによって現実が変革され、変革された現実が記録されていく。

これで一旦原一男月間終了。寂しいようなほっとしたような。ドキュメンタリーの真髄に触れるような刺激的な体験。病みつきになりそう。
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