Few

さようならCPのFewのレビュー・感想・評価

さようならCP(1972年製作の映画)
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香港芸術節のサイトで配信しているとの情報を偶然キャッチし、観賞。

最初は、脳性麻痺のコミュニティにズカズカ踏み込んで内実を詳らかにする系の映像なのか?と思ったが、カメラは障害者たちの身体を同等あるいはギリギリ追い越さない速度で追いかけ続けている。
なんというか、限りなく健常者の立場に立ちつつも、限りなく障害者の立場にもいるのだが、shootingの暴力性は一切損なわないまま往復し続けていた。野暮な興味だが、どこまで意図しているのだろうかと思ってしまう。

町でカンパ箱を置いて演説する様は、健常者と障害者の構造をはっきりみせながら、いわば健常者を、普段障害者が浴びせられるような好奇の目で、じと〜っとみるカメラワークだったが、初体験についてのエピソードなんかはもう胸糞悪いし、中学生の男社会みたいな語りの連続で、「人としてヤダな」と思ってしまう部分もあった。

観客が、映される映像になにを思うかによって、観客と映された障害者との間にどのような構造を作りあげたという反応が瞬時にかえってくる。なので、観るエネルギーがたいへん消費されるし、スクリーンがみるみるうちに鏡になる。
いったいこれはどこまで意図してるんだろう。だが他のレビューをみるに[監督はかなり意図的に立ち回っていた]だとか[主演の横田さんと話し合いながら撮影箇所を決めた]などの情報が散見された。

横田さんがカメラを持ち始めたことについて語るとき、(あ、これは他者から持たされたものなんだ?)と気がついた。
横田さんがこれまで向けられたまなざしの重たさを知っているが故に、撮ることはより難しくなる。
横田さんが自ら眼差す側にまわったときに、他者の眼に生じる「本来眼差される側が、眼差す道具であるカメラを構えている」という空気をファインダー越しに理解してしまったのか、うまくいかないねと言っていたのをよく記憶している。そう自覚する撮影者の撮る写真は、すごくみてみたいけどなあと思った。

最後、撮影クルーが見守る大通りの真ん中を横田さんの身体がこれまで以上に動きづらそうだった。何がそうさせたんだろうか。体重を移動するときの重心の変動や、引き摺る部位の痛みまで伝わってきたけど、黙ってじっとみていた。

素晴らしい映画だったのか、面白い映画だったのか、撮るべき映像だったのか、正直なところ、よくわからないままだ。
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