映画大好きそーやさん

ショート・カッツの映画大好きそーやさんのレビュー・感想・評価

ショート・カッツ(1993年製作の映画)
3.9
総勢22名で織り成す、ロサンゼルス大群像劇!
『マグノリア』を観た際、本作が元ネタとなった作品の1つであると知り、観てみることにしました。
ロバート・アルトマン監督作は初見でしたが、全編に渡って感じる、1歩引いた冷たい視線がシュールな空気感や笑いを呼んでいて、とても面白かったです。
せっかくですから、『マグノリア』と比較しながら本作を語っていこうと思います。
本作は『マグノリア』と比べると大分と淡白で、3時間超えの上映時間にしっかりと長さを感じました。
それは偏に、捌かなければならないキャラクターの数の多さや、それぞれのキャラクターの共鳴が色濃くないことが理由としてあると思いました。
『マグノリア』では、メインで活躍するキャラクターが9名に絞られ、密接な関わりをもちながら、最後のデウス・エクス・マキナ的展開で皆バッサリと成敗(もしくは、回収)されていくという、綺麗なプロットが組まれていました。
それと比べてしまうと、個々のドラマは面白く観られても、つながりの部分が希薄すぎて、1本の作品として観ると今何を観ているんだろうという感覚が芽生えてくる自分がいました。(寧ろつながりの希薄さを主軸に据えていたとしたら成功していると思いますが、それを映画的に面白く見せていくのは至難の業だと思います。その点に関しては、上手くいっているとは言えないのではないでしょうか?)
デウス・エクス・マキナの話も出たので、オチについても軽く触れますが、正直『マグノリア』を観た後だとその事象が起こっただけに過ぎないように見えてしまいました。
『マグノリア』の神的作為に比べると言えど、意味合いが違っているのも分かりますし、そのようなことが起こっても尚……という様子を描きたいと解釈するにしても、3時間超えの映画に付いてくるクライマックスとしては取って付けたものでしかないなと感じてしまいました。
また、劇伴(音楽)面でも本作には物足りなさが感じられ、物語自体をも力強く引っ張っていく劇伴(音楽)は不在でした。(『マグノリア』におけるエイミー・マン的な楽曲群が皆無でしたね)
あと、これはこちらの問題である可能性もありますが、どうにも全キャラクターを認識しながら観ていくことが難しく、1回1回止めながらこのキャラクターはこんな問題を抱えていてとメモを取りながら観ることになりました。
何度も観ればこのようなことは起こり得ないのかもしれませんが、それは酷でしょう。
改めて、そもそものキャラクター数の多さが、かなりの足枷になっていたように感じました。
ただ良かった点も勿論あって、黒くも声を出して笑ってしまう、シュールなコメディ描写や、人間の普遍的な愚かさを直で感じられるシークエンスの数々は、『マグノリア』との比較で散々こきおろした私でも楽しく観続けられたポイントでした。
印象に残っているコメディ描写の例を挙げますと、親しげに話していて、1人が離れた際、一気に冷めた顔をして「全然分からん」(台詞が違う可能性あり)と一蹴するシーンや、不倫を疑われた際に「何度も寝てたと嘘を吐いた」→「1回だけなのに」と続けるシーンで、思わず「1回でもダメだろ!」とツッコんでしまったり、ピロートーク中、川で女性の死体を発見したことを暴露するシーンがあったりと、細かな黒い笑いが全編に散りばめられていて、およそ3時間を退屈に感じることはありませんでした。
また、キャラクターとはいえ、生身の人間、等身大の人間の愚かさが緩いつながりの中にあらんばかりに滲み出ていて、それらの滑稽さを浴びるだけでも、本作を観た価値を十分に感じることができると思います。
至るところに皮肉が充満し、人の醜悪な1面を浮かび上がらせる作劇は、自分も同じように他者から見られているのではないか、同じように冷笑的な見方をしているのではないかと、心配になること請け合いです。
そのどこか居心地の悪いリアリティの目撃こそ、本作の真髄のように感じました。
総じて、3時間超えの尺はしっかり長さを感じましたが、シュールなブラックジョークを連発させつつ、人間の嫌な部分を忠実に描き出すことに成功した、群像劇の良作でした!