アラカン

リリイ・シュシュのすべてのアラカンのレビュー・感想・評価

リリイ・シュシュのすべて(2001年製作の映画)
5.0
映画とそれ以外の映像作品の違いってなんだろうかとやんわり考えていたことの答えを1つ教えてもらったような。
今まで「1番好きな作品は?」という質問の答えに窮していたけれど、多分この作品になるだろうなという実感。

「全ての作品には必ずイデオロギーが宿る。その形や濃度は様々であれ確実にそこには誰かの視点や世界がある」
是枝監督がなんだかそんな感じのことを言っていたのを思い出した。けどその思想と表現は別に並行してなくてもいいということを2時間半を以て密に理解させられた。当たり前な気もするが果たしてそれが作品として上手く成立するのか、自身が触れてきた作品数も少ないためあまり確信できなかった。けれどこの作品が1つ世界を広げてくれた。
陰鬱な青さもそれにそぐわない目を背きたくなるほどの非行も、フィルムのセピアとリリィのサントラが美しく神秘的に昇華してしまっている。タイプ音と共にインタータイトルが映される演出もそれ自体別段珍しくはないが、サイレント映画の代表的な手法を音楽が1つのテーマである作品の中で使い、またトーキー作品であるものの物語の進行時間はインタータイトルを軸にしている。なんだか大胆だけれどきちんと調和させられるこの感性はすさまじいと思う。

1カットが長尺であると「おっ、すごい」と普通に感嘆するのだが、そういった場合その映像には演出されていないリアルな時間の進行が見えてくる。映像表現の鍵としてよく言われる"生々しさ"の演出でも使われたりするらしい。
けれどこの作品は徹底してカットを増やしており、時間の感覚がもはや曖昧になることを求めている。神秘性を伴ったそれは誰かの記憶を覗いているかのような不安定さを覚えるが、しかしそこには生々しさも確かに感じられる。何でだろう?と少し考えたが、まあ分かりやすく答えはずっと出ていた。カメラワークが常に定点ではなく手持ち撮影で行われているからである。ここに最初に述べた誰かの視点というものが鑑賞者に常に与えられていることで、映像から醸し出される雰囲気とは別に常に肉感を伴うのだろう。そもそも誰かが撮影しているビデオのカットも多く、「今この映像は登場人物の撮影しているものなのか?それとも私たち鑑賞者の視点なのか?」という曖昧さが、よりこの作品の世界に引き込ませるギミックにもなっている。よく言われる私達も登場人物のひとりになっているかのような感覚ってやつなのかな。
まあでも誰しも必ず経験する、少なくとも掠めたことはあるだろう10代の鬱屈としたあの雰囲気を扱っているから普通に生々しく感じるていうのもあるのかもしれない。けどその場合津田ちゃんが言ってたちゃんと"明るい"子達がこの作品を観た時に生々しさとか感じるのだろうか。

それにしても本当に時間の扱い方が上手いなぁと。最初の雄一にシコらせるシーンから1年前に戻っての、青春時代、沖縄旅行、からの修一覚醒、からの現在(インタータイトルの時間軸)。
いや〜なオープニングからバラ色青春に戻ることで「何があったんだ?」になるし、沖縄旅行のエピソードを挟むことで"エーテル"と"魂"というキーワードがビジュアル化されて理解しやすくなったし、その後インタータイトルの時間軸に戻って同時に追うことで最後青猫の告白に対する雄一の絶望に説得力が増す。いやはや完璧な構成でございますな。
邦画はこういう独特の死生観を感じさせることに長けた監督が多いしやっぱりそれは強みだろうなあ。

他にも書きたいことあった気がするけれどしばらく耽っても思い出せないのでここで中断。
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