気持ち悪い行い×悪魔的に美しい調べと光が織りなす岩井マジック。
「どこまでも現実が続く夢の中」
いじめ、自慰行為、万引き、援交、いじめ、自殺。
これでもかと少年犯罪が詰め込まれていたが、全てサラッと見流せてしまう。
音楽を聴くように映画を見たのはこれが初めてだ。
パソコンの打鍵音とドビュッシーとリリィシュシュの音楽が合わさり、地獄絵図を美しく描く。
これはカルト化しそうだ。
痛い行為があっても、目を背けるように画面にはあまり映らない。(レイプシーン然り、殴るシーン、飛び降りるシーンの詳細な描写が少ない)
映ったとしても映像の美しさに煙を巻かれてしまう。
カメラ越しの眼差しは誰か特定の1人に極端に寄り添うことなく、徹底して、観察者に徹している。
重要なカットは遠くから隠し撮りするように撮られ、移動シーンはさながらはじめてのおつかいのような、手ブレ感満載の手持ちカメラ撮影がほとんどだ。
当事者意識のない匿名掲示板から一つの事件を眺め見ているようだった。
総じて、この空気感は00年代特有のものだ。
エヴァンゲリオンで描かれてきたように内省化して自己の殻に閉じこもる主人公。
繋がりたくても繋がらない。だけど、繋がりたい。そんな想いを満たすように
リリィシュシュ(綾波レイ)にすがる。
中学生の不安定なアイデンティティは誰かに投影することによって、初めて安定する。
彼の場合はリリィ。
ある種、神格化されてるリリィだが、その神性を自分の手で破壊してしまう星野。
彼は拠り所全てを破壊され、空虚なまま、映画は終わる。
このリリィをアイドルや撮影モデルに置き換えると今でも、偶像にすがりながら、現実と戦う人は多くいる。
嵐や坂道系のファンを見るとわかりやすい。
それを劇中ではエーテルと呼んでいたのではないか?
エーテルは彼女自身ではなく、ファンが作った偶像から発せられるエネルギー源であり、現在のコンテンツ業界を取り巻く環境そのものなのかもしれない。