シズヲ

真夜中のカーボーイのシズヲのネタバレレビュー・内容・結末

真夜中のカーボーイ(1969年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

※再レビュー

《太陽が照り続ける場所へ行くんだ》
《土砂降りの雨を抜けて》
《俺に相応しい場所を目指すのさ》

遠い大都会に“理想郷”を見出した男。そこに行けば俺は成功する。金持ちの女を相手にすればきっと稼げる。カウボーイスタイルの出で立ちに託された無邪気な夢、在りし日のアメリカンドリーム。しかし待ち受けていたのはニューヨークという街に横たわる冷徹な現実。男としての尊厳は踏み躙られ、過去の影も振り切れず、逞しいカウボーイとしての虚飾さえ剥がされる。無様に転落していった男がひょんなことから掴んだものは、社会の底で小さく輝く束の間の友情だった……。“男性性”への憧憬と零落、果てなき大都会と個人の断絶、人混みの陰で忽然と佇む孤独。そうして打ちのめされた男二人の愛と挫折の物語。以前から好きだったけど、改めて見るとより深く噛み締めてしまう。アウトサイダー同士のブロマンス映画としてオールタイムベストに入るくらい好き。

ハリー・ニルソンによる主題歌『うわさの男』の爽やかな曲調がとても良くて、この曲と共に幕を開けるオープニングの突き抜けるような清々しさは実に印象深い。そんな明るいムードに不穏な影を齎す異様なフラッシュバックの数々。決して明言はされずとも、目まぐるしいカットの連続によって主人公の“心の闇”が否応なしに炙り出されるのが恐ろしい。ジョン・ヴォイト演じる“テキサスのジョー”が抱える“本質的な孤独”は始まりから既に内在していた。トラウマから逃避するためのギミックとして描写されるラジオもそうだけど、序盤から中盤にかけて描かれるジョーの掘り下げが秀逸。意気揚々と都会に乗り出した彼の表情が次第に不安や苦痛へと沈んでいくさまは、ジョン・ヴォイトの好演も相俟って見事に表現されている。男性的魅力を信じていたジョーが男色に手を染めざるを得なくなる居たたまれなさ(そして彼の男性的魅力は過去のトラウマで既に踏みにじられていたという悲哀)、印象深い。

ティファニーの前で倒れている男の横を人々が素通りしていく恐るべきシーンも、ジョーが“理想”を託した都会の“現実”を端的に突きつけているようで印象的。ニューヨークという街の寒々しいロケーションやそれを捉えた撮影がとても良い。個人の孤独と疎外を浮き彫りにする大都会の圧倒的な存在感の前では、虚勢の象徴たるカウボーイの姿も酷くちっぽけで滑稽なものとして映る。前述した目まぐるしいカットの切り替わりなど、要所要所で描かれる混沌とした演出はジョーの不安と焦燥を端的に表している。都会におけるカウボーイが一体何のシンボルなのかを“夜の街で立ちんぼするカウボーイ姿の男達”のカットで示唆する描写が印象的。ジョン・バリーによる音楽も何とも言えぬ哀愁が滲み出ていて物語にマッチしている。

序盤を抜けてからはダスティン・ホフマン演じるラッツォことリコが登場(初登場時は主要キャラにはあんまり見えなくて妙な味がある)、次第にジョーとリコの奇妙な共同生活へと物語は進んでいく。せこい犯罪を繰り返す日々は当初夢見ていたアメリカンドリームからは程遠いのに、それでも孤独の中で寄り合う男二人の姿には不思議と愛着を感じてしまう。溝の底での何気ない日常から滲み出る二人の生活感と何処か憎めない雰囲気が印象的。落ちぶれてもなお無垢な夢を抱き続ける男二人の共鳴、ドブネズミみたいに美しい。リコがジョーの夢に自身の夢を重ね合わせた瞬間である“フロリダで元気に走り回る空想”は切なくも愛おしい。ダスティン・ホフマンはやっぱりとても良い役者なんだなあ。

“男らしさ”を徹底的に傷つけられ、落ちぶれた果てにチンピラであるリコとの奇妙な友情へと辿り着いたジョー。彼は最終的にひょんなことから再起のチャンスを掴むけど、リコの危篤を前にして自身のプライドも夢も投げ売って走り出す。あの中年男性を脅したとき、ひょっとすれば殺人すら犯していたのかもしれない。そうして最後は自らの夢想のシンボルたるカウボーイスタイルをも捨て去る。「女で稼ぐのは難しい」と語った時にジョーの夢は終わりを告げたけど、それでも彼の手元には掛け替えのないものが残されていた。新天地へと向かうバスの中、笑い合う二人のどうしようもない愛おしさ。リコの為にジョーが全てを投げ出した時、ジョーとリコがバスで言葉を交わし合っていた時、紛れもない愛があった。そして二人は互いの存在を噛み締めながら、共に挫折へと至る。バスの乗客達の冷ややかな眼差しと、ただリコをそっと抱き寄せるジョーの対比。遣る瀬無い結末の中、束の間の淡い友情だけが取り残される。この切ない余韻がとにかく好き。

久々に見返してみるとホテルでのジョーの部屋に飾られたポスターが『ハッド』なのが地味に印象的。あの映画のポール・ニューマンは当時の若者から反逆的ヒーローと見なされたらしいけど、内容そのものは疫病に侵された牧牛の殺処分とカウボーイ親子の確執に投影された“アメリカンドリームの終焉”なので皮肉めいている。ジョーの夢の転落を初めから示唆しているかのような趣きがある。そしてラリッたような前衛的な演出で描かれるパーティーのシーン、『イージー・ライダー』もそうだけどやはりニューシネマ期はドラッグの文化との密接な繋がりを感じてしまう。そういや急にスカイドン出てきたね。
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