Jeffrey

郷愁のJeffreyのレビュー・感想・評価

郷愁(1988年製作の映画)
4.0
「郷愁」

〜最初に一言、ここまで人生の愛おしさが芳醇に、豊潤に匂う映画もない。冒頭の四万十川の美しさとローカルな地方の野趣。私は高知を巡る作品で「南の風と波」「祭りの準備」と並べてこの作品を傑作として加えたい思いだ〜

冒頭、昭和二十八年、高知。小舟がゆく原風景の中、姉と弟。東京から来た教師、恋愛、妬み、女と逃げた父、京都を恋しがる母。学校、仲間の死、鼻血、厚化粧、川辺での営み。今、少年は駆け出す、何処までも…本作は中島丈博がATGで監督として長編デビューした昭和六〇年度(第六回)ATG映画脚本賞入選作品の映画化であり、その脚本自体も中島本人のものによる。数年前に国内初ソフト化されたが、すでにVHSを持っていたため特に購入はせず、久々にギルド作品の特集をするべく(YouTubeで)再鑑賞したが素晴らしい。そして某レンタルショップでも貸し出しされているので気になった方はぜひ。高知の四万十川流域を舞台に描き出す青春の詩として、知る人ぞ知る名画になっている。

私個人、子供の故郷(ふるさと)を題材にした作品が大好きなので、この作品を一般的な評価以上に評価している。俺、この作品のタイトル "郷愁"が出現するときの音楽と共に河を小舟が漕いでその上に机があって、主人公の男の子が絵を書いているワンシーンがすごく好きなんだよねシュールで。ここ最近では一昨年亡くなられた津川雅彦、樹木希林や今年の九月に亡くなられた斎藤洋介らも出演している。自分の好きな役者が皆亡くなっていくのは本当に辛くて悲しいことである。彼ら彼女らもアートシアターギルドに多く出演していた名俳優たちである。今思えばこの作品が作られてからATGは二十八周年を迎えた時期で、ハスの「尼僧ヨアンナ」と言う傑作ポーランド派を一回目に始まり、数多くの素晴らしい映画を世に配給した偉業は改めて歓ばしいのである。

少し映画から離れた話をすると、そもそもATGと言うのは世界的に台頭した芸術の運動に日本も負けず劣らずと言うことで、ドキュメンタリー作家の羽入進、勅使河原 宏などの映画作家にジャーナリストを加えた十一人のグループで動いてき母体である。いわゆる映画芸術を前進する目的で製作された専門枠の様なもので、その中に若手監督が優れた作品を僅かな資金で撮ったと言う日本アート・シアター運動の会と言う事になり、その流れに共鳴したのが先だって大島渚であり、黒木和雄、吉田喜重などである。一方、海外ではゴダールをはじめ、アントニオーニ、トリュフォーなどのヌーヴェル・ヴァーグやフェリーニ、デシーカのネオレアリズモ、ベルイマン、ドライヤーなど北欧の才能、ポーランド派とされて来たワイダ、ムンク、ハス等、ルイス、アンダーソン、リチャードソン等のイギリス・ニュー・ウェイヴが、地球の反対ではブラジルのシネマ・ノーヴォの旗手、グラウベル・ローシャが強烈な作品を世に出していた。正に高水準の映画同士が火花を散らして戦った時代であり、今のお遊戯会の映画など何一つ無かった時代である。そんな中にATGは一九六二年四月に発足したのである。


さて、この作品を解説する前に、まずは中島のシナリオ作家としての活動を話したい。まず、昭和三十六年に橋本忍が監督した「南の風と波」は四国の高知の漁村で生活する物語で、私のATGベストの黒木和雄の「祭りの準備」も中島のオリジナル脚本であり、舞台は同じく四国、高知の漁村で生きる人々を描いた傑作である。確か記憶では中島は撮影中その現場にずっと立ち会っていたんじゃないかな…。日本の南国、四国の高知の中村の独特の土俗族的な風土が、彼を育んできた事は一目瞭然である。私のレビューを昔から見ている人は何となくわかると思うのだが、私はかねてから土俗的な日本映画が非常に好きなのである。それは日本人としてのローカリズム体質をうまく描ききっており、母体となっている育む核をその中に入れ込んだ日本人のエネルギー源を形成するような土俗的なものは、ここ最近では全くもって体感(映画的に)できないから、昭和の作品への思いと懐かしさを求めてるのであって、その土地特有の人間の上に重くのしかかってくる規制と言うものが、その風土の中に現れる映画がすごく好きなのである。そういった事柄を踏まえて物語の解説をする。


さて、物語は昭和二十八年、高知。女に走った父、豊かだった京都の生活を忘れられない母、一家の生計は姉の泰子の働きで支えられていた。田舎特有の好奇の目の中で、常に毅然とし優しい姉だけが住男の誇りだった。その夏、泰子は東京から来た住男の担任教師に恋をし、やがてその恋にも終止符が打たれた。自暴自棄で夜の勤めに出る泰子。厚化粧をし、変わっていく姉が弟には気がかりでならない。ある日、住男は納屋で姉のスーツケースを見つけた。青ざめた彼は姉の姿を追って夢中で駆け出した…と簡単に説明するとこんな感じで、日本の若者に贈るみずみずしい青春の詩としてロッテルダム国際映画祭正式出品作品にもなった映画である。まさか自分の過去の思い出が他人にここまで影響を与え、感動させて懐かしさを体験させてくれるようなものだとは本当に知らなかった。その点でこの作品は非常に価値を見出した。

物語をもっと詳しく説明すると、京都から疎開でこの田舎町にやってきた山沖住男の一家は三人暮らしである。昔の華やかな生活が忘れられない母に代わって、姉の泰子が一家を支えていた。売れない画家の父は家を捨てて、中村の料理屋の女主人と暮らしている。そんな父に新しい職の相談に行った泰子は、食うためにはパンパンにならんといかんこともあると言われ、エゴイストだと激しく父を恨み、弟にだけは大学に行くように言うのだった。やがて彼女は東京から来た弟の中学校の担任教師で若くて情熱的な平尾に惹かれるようになる。しかし、ある夏の日、弟の家庭訪問に来て突然結婚を申し込み、母と言い争いになった平尾に、彼女は泣きながら帰ってと言う。そしてそこに弟の級友、不二雄の急死の報がもたらされた。その姿にショックを受けた平尾は、別人のように飲んで荒れ狂うようになる。そんな彼の姿に愛を失った泰子は夜のお勤めに出るようになり、バスの運転手と付き合いだした。姉の変化に心を痛める弟は、使いで父の元を訪ねたおり、父が向こうの家庭で団欒を持っているのを見て猛烈に父を罵る、金をむしりとって飛び出す。そして、そのお金で友達と酒盛りをし、姉にネッカチーフを買ってあげる。そんなある日、姉は町田の運転するバスで車掌と喧嘩して、バスは転落事故を起こしてしまう。それを聞いてやってきた父に彼女は言いつけ通り、パンパンみたいな真似をしよるるがよと挑発的に言い放ち、家族は言い争いになる。それを聞いていた弟は、帰えれ、ここには来るなと父に掴みかかるのだった。時が過ぎ秋へ。村の青年、豊と結婚したばかりなのにうまくいかず、家を出ることになったさつきと川のほとりで初体験を迎えた住男は、納屋で姉のスーツケースを見つけて彼女が家を出て行こうとしていることを知る。翌日、泰子はバスに乗って去っていった。必死で追いかける彼に、姉は彼が渡したネッカチーフを握って応えると、頑張るがぜと叫ぶ。取り残され、一人土手道を歩き始めた住男は、確かに少年期の終わりを感じ取っていた…とノスタルジーのフィルムが写し出される。


いゃ〜、ノスタルジックな作風でたまらない。昭和は奥ゆかしい時代だったなと昭和に生まれてない自分がそう感じてしまう。四国の高知の中村にオールロケーションで撮影されているのも凄いし、映画の中で使われている父の絵は、実際に彼の父君の描かれたものとのことである。そういえばこの作品の基本設計が画面のサイズがカラーのスタンダード版と言うのも監督の一歩身を引いた視点からの演出だったのではないかと感じる。にしても父親役の津川雅彦と言い母親役の吉行和子演じる夫婦のすごみが良かったのと、姉を演じた(当時新人だったらしいが)小牧彩里の美しい容姿とフレッシュ感がたまらなかった。もちろん主人公の坊主頭の少年の西川弘志も、戦後間もない当時の田舎に住むローカル少年を見事に演じきっていた。存在感があり戦後派青年のある種のタイプを如実に表していたと感じれる。

なんだろう、この作品に出演している役者たち全員が俳優個人の持っている生き生きとした活力を映像空間に解き放っているような感じがする。中学校の担任教師を演じた榎木孝明のハンサムな顔立ちにもかかわらずお姉さんを私にくださいと母親に面と向かって話す自宅の中での場面は強烈的だった。途中で停電になってしまうし(笑)。なんだか人物像を含めてある地方のある時代の空気のようなものが重層的に現れていて良かった。この映画の見所は結構ある。特に印象的に残ったのが、山あいの小川のせせらぎのそばで、主人公の少年をセックス開眼させる話や、これは世界的特有といってもいいが、温泉と言う文化は日本を含めて数少ない中、入浴するシーンがあるのだが、そこに登場する美しい姉のヌードの登場のさせ方や、真っ裸の少年たちが肩車をして女湯を覗こうとする微笑ましい場面は魅力的であったし、少年の姉に対する思い、オナニー等も各エピソードが実に慎ましく情感を盛り上げていた。また、姉の泰子が物置にスーツケースを隠して準備して故郷立ち去るシーンは黒木和雄監督の「祭りの準備」で主人公の少年が故郷を後にするのと全くもって重なってしまうのである。あの頃の日本はどこもかしこもそういった田舎で埋め尽くされていて淡彩な淡いタッチの「郷愁」は誠に素晴らしいエピソードをふんだんに使っており、生きる哀しさが浮き立って見える。まさに戦後まもない昭和二十八年と言う設定が見事なまでにノスタルジーさを感じさせてくれる。

とにかく懐かしくて、映像表現の社会派や芸術派とはまた違った映画であり、タイトルの意味を持つ異郷のさびしさから故郷に寄せる思いがノスタルジアに貫かれた現代の作品ではないかと感じる(現代と言うのは、この作品が制作された時代のことである)。中島監督自身が古くてもなおかつ新鮮なロマンティシズムのような作家的特質があるとこの作品を見て感じた。確かドナルド・リチーだったと思うが、「郷愁」はハワイ国際映画祭で初上映された際に、ドナルドの背後にいた女性が満足そうにしみじみしていた調子で"あぁ本物の日本映画を見られたわ"と満足そうに言っていた事を引き合いに、自分もそう思ったと投稿していたのを思い出した。過ぎ去った時代への思い出の深さは自伝的作品ならではの感があるため、繰り返し言うがこの手の時代背景を持つ日本映画は好きである。昭和最後の年にとられているこの作品の舞台は五〇年代の日本である。その点は追憶を扱った作品と言えるが、果たして近年の映画に追憶をテーマにした映画があっただろうか、昨今めっきりとなくなってしまったと感じてしまう。

タイトルを挙げたらキリがないから省くが、ノスタルジックな作品(自伝的要素のある)映画は世界各国にある。しかしながら日本映画の自伝的作品に出てくる役者と言うのは過剰な芝居をしないで自然体で演じているのを多く見かける。特に少年時代の子供の役者である。この作品の主演を務めた西川もその一人である。特にこの物語では監督の自伝的要素を入れた映画なのにもかかわらず、そのストーリーには何かしらの自慢もなければ凄いと思わせるプロットすらない。本当にありのままの自分が生きた時代を丹念に描いていることがわかる。個人的には好印象である要素の一つだ。さて話を映画の印象的な部分に戻すと、冒頭の小舟が一艘河にぷくぷくと浮いているファースト・ショットは叙事詩的ですごく美しく、シナリオライターが映画監督になったとは思えないほどのカメラワークの美しさがある。もちろんシナリオ作家なのだから脚本に力を入れるのは当たり前で、日本画家の父への想いが最初のカットで非常に伝わってくる。和紙が風に吹かれて舞い上がり、水面に落ちるショット等もたまらなく素敵だ。

特に西川が演じる少年がナイーブで表情がたまらなくいとおしいのだ。ゆったりと時が流れていた時代の風景がこの作品にはある。本当に素晴らしい映画であった。今日的な慌ただしい時の流れとは全くもって違う。ATGと言うのは様々な映画ジャンルを輩出してきた。一般的には難解で難しい気取った映画だと勘違いされているが、どれもこれもがそういうわけではない。吉田喜重。実相寺昭雄辺りはアートフィルムで難しい映画だったが、中島の本作はそんなものを一切感じさせない映画である。そもそもギルド脚本賞募集の応募にプロアマ問わずと言う企画で、既に何本も脚本を書いていた中島が応募したと言うのにも驚きを隠せない。それほどまでに映画化したかったのだろう。ちょうどこの作品を監督したときの中島は五〇歳である。これを機に今ではパワハラ、セクハラといっぱつで法律違反になってしまうパンツを脱がせる悪ふざけや公衆浴場の覗き、男の子たちの金玉を掴んだりごくありふれた日常の遊びもできなくなった今日で現在のような情報化社会で小学生たちまでが陰湿ないじめなどをしたり、されたりと言う行くたびのニュースを日頃から見受けるが、そうした子供の世界の記憶が実に豊富に散りばめられていて、郷愁は見事なまでに平成最後の年に作られた素晴らしい作品といえよう。




長々とレビューをしたが、ここ近年の地方は地方と言う感じがなくなってしまっていて非常に寂しい。ローカルカラーと言う言葉は今も存在するのだろうか?昔はよくそう言っていたが、今となっては東京で人気のものは全て田舎や地方にも置いてある。走っている車も東京と同じなら田舎に住む(地方)人々のファッションでさえ東京と同じであるのだ。私は個人的に日本各地を撮影でよく旅行兼ねて回るのだが、テレビをつけても東京と流れている番組があり、食べ物も同じである。近頃の地方と言うのは地方色が全くないのである。そういった中で黒木和夫監督の「祭りの準備」斉藤耕一監督の「津軽じょんがら節」などを見た上で、このシナリオライターの中島と言う作家の郷愁を観るとつくづく素晴らしいなと思ってしまうのである。因みに今挙げた作品はATG作品の中でも十本の指に入るほど傑作なのでぜひとも見て欲しい。基本的に映画は大勢の人に見てもらうために制作するものだが、その原則に逆らって作る者をただ一人だけの映画があっても良いと感じてしまう近年は。誰かに見てもらおうとして作るために逆に微妙になってしまう作品がただある。その中にドラマを面白くするためのフィクション的なものを入れ込んでぜひとも自分のため(自伝的)に映画を作って欲しい。最後に余談だが、中島監督の誕生日は昭和十年十一月十二日と数字がとつながっていて覚えやすい。
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