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がんばれ!盤嶽のotomisanのレビュー・感想・評価

がんばれ!盤嶽(1960年製作の映画)
3.9
 裕次郎、雄三だと宇宙人的、等もちょっと、という人でも、こちら、桂樹=盤嶽なら、と頷けまいか。とは言え埼玉県久喜市栗橋の田舎にあり、名門ながら貧乏剣術道場で師範代から下男まで喜んで一手に引き受ける人のよさと大馬力が身上、道場の外はまるで不案内なのんき者である。
 それが三十間近となり大先生から娘の婿にと告げれて、そのためには江戸で職を得て、2年間世間を学んでこいと暇を出されたが、向かった世間は出世亡者にペテン師、ウソつき仙人、銭になるなら人でも売ろうという世知辛さ。
 武州一ののんびり屋も気を滅入らせる天明2年とは、向こう7年越しの大飢饉と浅間山大噴火を余所にイケイケ田沼の放し飼い、積極経済で金も欲も止まるところを知らぬ有様。ついに栗橋の大先生まで昼行燈の盤嶽をすっぽかして景気のいい誰かに娘を嫁がせようと心変わりしてしまう。この大先生を志村喬が演じると大らかでとてもいい。ついでに、天下随一の大ウソをつくため日々正直を吹聴する笠智衆の倒錯的呵々大笑の瘦せ狸っぷりも可笑しいが、田沼にハマって悪党跋扈といっても万事この調子である。出世亡者や人買いどもを薙ぎ倒す盤嶽剣法もどう見たって左バッターである。当時はありゃ誰それだと知る人ならピタリと分かって、クイズになっていたかもしれない。賞品はバットで盤嶽のサインは花押かもしれない。
 7割おちゃらけでも女にフラれれば悲しいし、団令子の真実の愛は昼行燈にはもう手遅れ。かと思いきや女の方が偉くって借金なんぞ踏み倒し、平気であいまい宿を足抜けして、腕っぷしだけは確実な昼行燈に手綱を付けて、自由と平和の新天地へと二人去ってゆくのでありましたが、いつ辿り着くやらわかりませんのも当然。だが、それから2年後、経由地は某藩ということで「椿三十郎」に押し入れ侍として再び顔を出すのである。この男、案外盤嶽が縁で起用となったかも知れない。
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