荻昌弘の映画評論

暗黒街の巨頭の荻昌弘の映画評論のネタバレレビュー・内容・結末

暗黒街の巨頭(1949年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 先ず邦題にダマされた方の多かったであろうこと、御同情申上げる。暗黒街など一向に出ず、いつものデンでアラン・ラッドが、眉を寄せ、唇一文字に閉じて、猫歩きを繰返すノミとあっては、キョトンともしましょうヨ。
 さてこのギャングの巨トン、ラッド氏は、アプレゲエルのロストジェネレイション代表という格で女に振られ、一念発起・金色夜叉。振った女が何とサウザナア、ベティ・フィイルドてえのがちと判らん所で、ついに幾程お金を積上げても彼女の愛情は買戻せませんデシタというお話が、いくらおセンチにしようとしても浮き上るばかりで全然効かない。しかもこの効かぬ話を唯一のエサに、登場人物が口移しで過去をナラタアジュしながら筋を運ぼうというのだから、テの込み方に比例して間が抜けること必然、ラストの、巨トン裸で殺されの図など、サスペンスと皮肉を合成するつもりがみんごと二つながらの掴み損ねに終った。
 長篇文学のエッセンスだけを正直にダイジェストしようとウロキョロしているこのていたらく、気の毒でもあり、コッケイでもあり、何よりタイクツで困る。
 ーーオッと、言い忘れ。いい所一つあり、開巻で、数ショットピカピカと現れて消えちまう、機関銃ギャング市街戦の光景。
『映画評論 7(6)』