ひでぞう

日本の悲劇のひでぞうのレビュー・感想・評価

日本の悲劇(1946年製作の映画)
4.5
戦中のニュース映画などを用いて、その背後にあった、戦争の「真実」を抉り出した作品。現在の視点からみれば、ナレーションなど、直截に過ぎ、共感しにくいかもしれない。しかし、1946年の段階で、こうした手法で、戦争責任を論じようとしたことに、感銘をうける。この映画がGHQによって、いったんは上映が許可されながら、その後、上映禁止となった経緯も、考えさせるものだ。
 CIEによる検閲もパスし、いったんは、公開が許可されるが、1946年8月2日の首相官邸での上映会を経て、CCDの上映禁止となる。その理由は、天皇を戦犯として裁くような、「天皇に対する急進的な扱い」が、「暴動や騒動を引きおこす」おそれがあり、「公共の秩序を守る」という観点からであった(平野共余子『天皇と接吻』草思社)。
 民主主義のなかの「表現の自由」の重要性を主張するCIEよりも、天皇のもとでの円滑な占領を主張するCCDが、当時の統治システムにおいて力をもったということであろう。そして、その構造は、現在も、それほど変わっていないということなのだろうか。
 いずれにしても、戦前は、軍国主義のもとで投獄され、戦後は、占領軍の検閲や上映禁止によって、表現することを抑圧された亀井文夫は、もっと評価されてよい。多くの映画人は、軍国主義にも占領軍にも、何ら摩擦を生じさせることもなく、「表現」することが可能だった。
 それでも、『日本の悲劇』は、限られた上映期間で、岩崎昶らによって自主上映がおこなわれた。それは、熱気にあふれていた。
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