CANACO

ニュー・シネマ・パラダイスのCANACOのネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

155分版、124分版(国際版)、170分版(ディレクターズ・カット版) があるうちの124分版を鑑賞。なんとなく避けてきた「感動作」と言われる映画を続けて観ている時期。

シチリア島の北東部にあるパラッツォ・アドリアーノを舞台にした物語。北西部にある『ゴッドファーザー』の舞台・パレルモまではバスで2時間40分くらいの距離らしい。

映画をテーマにした心温まる物語だと思っていたが、こんなに人生や老いのほろ苦さを伝えてくる作品とは思っていなかった。パラッツォ・アドリアーノという田舎町の映画館で、映写技師として働いている初老の独身男性・アルフレード、彼を慕うトト、そしてトトの母親。それぞれ得られなかったものがあり、その苦みを噛みながら鑑賞した。

いろいろな考察ができる作品で、作中で語られる御伽噺「99日目の夜」の真相は完全版で提示されるらしいが、この噺を本作をどう結びつけるかも観客によるだろう。

124分ver.は、アルフレードが人生における沢山の後悔を述べ、その後悔を希望に変換して親友のトトに託し、彼の社会的成功を願う。トトとアルフレードはほぼ対等の関係に見えるが、それはアルフレードが少年トトに合わせておどけているだけで、トトが成長するにつれ、アルフレードは父親のような顔になっていく。

アルフレードには偏屈な一面がある。愛と社会的成功、どちらを選んだほうが幸せな人生を送れるか。これは人によるに決まっているが、アルフレードはトトに社会的成功を選ばせた。この強制的なアプローチは、父親というより神の意思に近い。完全版を観ると、よりそれがくっきりするみたい。

トトの人生に関しては、10歳から50歳までの成長を見守ることになる。
トトの愛は悲劇の色を帯びていて(完全版を観れば)アルフレードのせい、といえる。この引き裂きは致命的な傷をトトに与えているが、トトには、アルフレードの父親としての愛まで見通せる聡明さがある。
トトは本当の父親を知らない。トトの映画を愛する気持ちを誰よりも理解していたアルフレードが、その道で成功するようにと“突き飛ばす”勢いで背中を押したことをわかっている。愛は盲目だから、愛も社会的成功(好きな仕事で成功すること)も手に入るほど人生は簡単ではなく、厳しいのだと。

「いや、映写技師として働きながらエレナとパラッツォ・アドリアーノにずっと住むのがトトの幸せだったんじゃね?」とは思う。思うけど、父親が息子を有名校に行かせたがるようなもので、「うちの子は才能がある、立派になってほしい」と願う気持ちは純粋なものだろう。

トトの母親は戦争で夫と離れ、結局戦死した。前半の母親はシングルマザーで経済的にも体力的にもヘトヘトだから、たえず怒っている。その後、成人したトトと別れて30年会えなくなる。母親の愛もまた一途でありながらどこか一方通行で、愛を交わし合う生活とは違う。

同じジュゼッペ・トルナトーレ監督作品の『鑑定士と顔のない依頼人』が苦手だが、老いと愛はこの監督のテーマなのだろうか。通ずる部分があり、ちょっとだけトルナトーレ監督を理解できた気がした。

メタファーは多い。広場を独占したがる男もそのひとつだろう。井の中の蛙を表現したのだろうか。50歳のトトがその蛙を微笑ましく見つめていたのが印象的だった。

この物語が名作といわれる土台は、少年トトの完璧なキャラクター設定と演技力にある。頭の回転が速い、好きなものへの衝動を抑えられない、悪知恵も働くが人道的、そして映画と映写室が大好きなトトの振る舞いが素晴らしすぎて、どう演技指導したらこんなにできるのか不思議。
その後成長したトトは憂いが滲んでいるが(演技プランが変わりすぎて青年期、壮年期それぞれにちゃんと別人に見えるけど)、少年期のベースがあるから誰が演じてもトトを信じられるし、アルフレードの「自分のすることを愛せ。子供のとき、映写室を愛したように」という言葉は強く胸を打つ。

少年トトを演じたサルバトーレ・カシオくんの笑顔は永遠。
CANACO

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