シゲーニョ

恋はデジャ・ブのシゲーニョのレビュー・感想・評価

恋はデジャ・ブ(1993年製作の映画)
3.9
原題の「Groundhog Day」とは、毎年2月2日の聖燭祭(欧米における立春の日)に、アメリカのペンシルベニア州で催される恒例行事。

古来、2月2日は、冬眠を終えたリス科の動物グラウンドホッグ(aka ウッドチャック)が、最初に地上に姿を現す日だと言い伝えられており、その日がもしも晴天なら、グラウンドホッグが自分の影を見るかどうかで、春の到来の時期を占うお祭りなのだ。

まぁ、要するに、大のオトナなら退屈にも程があるイベントで、それを開催する人口わずか6000人ちょっとしかいない田舎町パンクスタウニーに、イヤイヤながら取材に向かったピッツバーグのTV局のお天気キャスターが、本作「恋はデジャ・ブ(93年)」の主人公フィル・コナーズ(ビル・マーレイ)。

このお祭りを取材するのも今年で4回目。
だから適当に仕事を片付けて、早々にピッツバーグに戻ろうとするフィルだったが、吹雪による道路封鎖で町に一泊することを余儀なくされてしまう。

そして翌朝、フィルは自分が恐ろしい状況に巻き込まれたことに気づく。
出会う人全てが、前日の朝と全く同じ言動をするのだ。

頭に混乱をきたしながら、なんとか2度目となる(!)取材を終えて一夜を過ごしたフィルだったが、翌日も2月2日であることに気がつき、自分がタイムループに閉じ込められてしまったことを理解する…。

本作の主人公フィルは、自分勝手でイヤミな奴、エゴの塊のようなキャラクターだ。
「周りの人間はみんな自分より下位」だと思い込んでいて、また「自分の発言は常に正義だ」というような、自尊心たっぷりに思ったことをすぐに口に出す無神経なタイプ。

町の人々を見下し、目の前で「Dick」「Moron」と平気で口にするわ、サウスカロライナ訛りが強いもののイケてる同僚の美女リタ(アンディ・マクダウェル)に、朝の挨拶がてらに「昨晩、ボクとベッドを共に出来なくて眠れなかったろ?」とセクハラするわ、吹雪の影響で長距離電話が不通になれば、オペレーターに向かって「オレは有名人だ!有名人専用の回線を今すぐ作れ!」と驕り高ぶる。

当の本人もその辺の自覚はあるみたいで、「オレって自己中の男かい?」とさり気なく、リタに質問するのだが、「それがあなたの一番の個性よ」と皮肉を言い返される始末…。

そんなフィルは、同じ日が繰り返されることに最初は戸惑い、気でも狂ったのかと思い悩んでいたのだが、そのうち、この奇跡を利用して、自分に都合のイイことばかりやり始める。

どんなバカなことをしても、どんなウソをついても、明日もまた同じ日が来ることでリセットされるからだ。

“本当の明日”が来なければ、「お咎め無し!」と勝手に思い込み、コレステロールなど気にせず、甘〜いケーキやドーナツ、シェイクを暴飲暴食。さらに飲酒運転&器物破損を繰り返せばパトカーに追われ、果ては現金輸送車から大金を盗んだり、飛び降り自殺までも試みる。

また、ボーリング場にある(!?)カウンターバーで、見知らぬ地元のオッサンと飲み交わした際、フィルは「1つの場所から出られず、毎日が同じ事の繰り返しだったらどうする?」と真顔で相談するのだが、「そりゃ、オレの人生そっくりだ…」とオッサンを逆に落ち込ませてしまう(笑)。

それだけでなく、リタを口説き落とすために、彼女に気に入られるようなタイプの男になりすます。
怒らすことを言ったり、ジョークがウケなければ、次の日(また来る2月2日)には、何をすれば嫌われるか、好かれるのか分かっているので、二度と同じドジを踏まない。
(ただし、前回のミスを無事クリアしたとしても、次のステージは初めてとなるので、必ずリタに平手打ちされゲームオーバー。結局彼女の心を射止めることは出来ない…)

こんな摩訶不思議な状況に置かれても、エゴを貫き、自分の欲を追求し続けるフィル。

まぁ、劇中内の言い伝えによれば、グラウンドホッグが自分の影を見てしまうと、寒い冬がこの後も6週間続くと云われているので、初見時の自分は、フィルが嵌ったループ地獄も同じく6週間くらいで終わるだろうと勝手に予想していたのだが、何回も、何回も繰り返され、なんと○か月も続くことに…。
(監督のハロルド・ライミスは当初、フィルが2月2日を1万年も繰り返すアイデアを持っていたそうだ…)

そんなこんなで、「もう何をしても、どう足掻いても無駄だ…受け入れるしかない」とループを抜け出すことを諦めたフィルは、とある理由で(相変わらず自分勝手なものだが…)、フランス語を勉強したり、ピアノを練習したり、町の不憫な人々を救おうとするようになる。

それまでの日常でも、自分の殻に閉じこもるループ状態にあったダメ男が、時間のループに囚われたことによって、人間として一皮も二皮もむけていく。見様によっては非常にシニカルな展開だ。

ちなみに、フィルがピアノのレッスンで弾く曲が、セルゲイ・ラフマニノフの「パガニーニの主題によるラプソディ」。
この曲はタイムトラベルの名作「ある日どこかで(80年)」でも使用された情感豊かで美しい、クリストファー・リーブ扮する主人公の恋心が高まる様子を見事に顕した名曲なのだが、本作での劇中、上達したフィルは終盤に来て、とんでもないアレンジで演奏することに…(笑)。

また、フイルは、かつて意地悪をしたカップルにその償いとして、全米プロレス界最大の年一イベント「レッスルマニア」のチケットをプレゼントするのだが、貰って大喜びするボーイフレンド役が、これが長編映画デビューとなるマイケル・シャノン。
「マン・オブ・スティール(13年)」でのゾッド将軍のような、マッチョな体躯と平家の恨みがつまった蟹みたいな圧倒的な顔面力は、未だこの時点では無く、実に笑顔が爽やかでスマートな好青年を演じている。

閑話休題…

自分を偽って“いい人”のフリをするのではなく、本当に心から自分を変えないとダメなことに気付かされるフィル。
望まれる人間を装うのではなく、自ら率先して、正しい行動をとる人間になることを決めたのだろう。

劇中、終盤にそれを象徴する台詞がある。
「僕と1日を楽しもう!!」
繰り返される1日だって、今日限りの1日だって、「素晴らしい日」にするのは自分次第だと、納得できたからこそ言えた言葉だ。

しかし…
このフィルの今までの態度を改めるきっかけが、観ていて上手く伝わってこないというか、描けていない気がする。

たぶん、劇中のとある登場人物○○と心を通わせることで、徐々に理解していったと思われるのだが、○○がフィルを自ら改悛するように導いたのは、「明日がどうなろうと、今が幸せであることが大事」という台詞くらいしか、自分には思い当たらない。

監督ハロルド・ライミスのアタマの中のキャラ設定では、○○は「誰にでも優しく、見返りを望まない、親切な人物」なのだろうが、上述した台詞と、デート中の思い出話のワンエピソード以外に、フィルが立ち直る“きっかけ”&真人間になる“手本”とする程の、○○の生き方・言動をハッキリと見て取れるシーンが劇中には無いのだ…。

本作「恋はデジャ・ブ」はSF的なシチュエーションながら、SFらしさが感じられないトラジコメディ、ラブコメディと云えるだろう。
なぜなら、フィルが時間のループに巻き込まれた理由は劇中内で全く説明されないからだ。

このことと同じように、フィルが更生する理由も、「映画を観ている中で感じ取れ!」とハロルド・ライミスは言いたいのかもしれない。

毎朝6時、フィルが滞在するホテルの部屋にある、目覚まし時計を兼ねたラジオから必ず流れてくる曲がある。
それが、ソニー&シェールの全米No.1ヒット曲「I Got You Babe(65年)」。

「♪〜みんなが言う/お前らは若くてまだ何もわかってない/成長してちゃんと大人にならないとわからないって…/でもそうかな、ボクはそれが本当だと思わない/だって、君にはボクがいるし、ボクには君がいる〜♪」

これはちゃんとした社会人、大人としての自覚がないフィルに対しての戒めの曲に聴こえてくる。

自分勝手なフィルのことなんて、
周りの人は誰も認めていない。
それにも拘らず、目を覚まそうとしないフィル。
もちろん、歌詞のような恋人などいる筈がない。

ここからは自分の勝手な推論だが…
「I Got You Babe」は、フィルをタイムループ地獄に陥れた“呪いの曲”だと思う。

そして、その歌詞には“呪いを解くカギ”が隠されている。
この曲は、実際におしどり夫婦だったソニー&シェールによるデュエット曲で、当然二人の気持ち、心の声、その掛け合い、ハーモニーが聴きどころとなる。

つまり、恋人と気持ちが通じ合ってこそ、成立する曲なのだ。

ラストのサビ、歌う二人の掛け合いだが…
「♪〜ボクは君に手を握ってもらえる/ワタシはあなたに理解してもらえる/ボクは君と一緒に歩いてもらえる/ワタシはあなたに話を聞いてもらえる/ボクは君におやすみのキスができる/ワタシはあなたにしっかりと抱きしめてもらえる〜♪」

悲しいかな、毎日2月2日の朝を迎えるフィルは、ラジオを止めたり、癇癪を起こして壊したりして、ラストのハーモニーまで聴くことができない…。

しかし、劇中における最後の2月2日、その夜のフィルと○○、二人の行動を観れば、初鑑賞の方もこの歌詞の意味を深く理解して頂けると思う…。

そして大団円のフィナーレと共に流れるのが、ナット・キング・コールが歌う、めっちゃ明るいラブソング「Almost Like Being in Love(恋をしているみたい/55年)」。

「♪〜なんて素晴らしい1日なんだ/とっても珍しい気分/まるで恋をしたみたいだ/(中略)この世の音楽全てがボクのために鳴り響く鐘の音に聞こえる/その鐘が鳴り始めた時/感じた気持ちは間違いなく 恋に落ちた時のもの/断言する ボクは恋に落ちたんだ〜♪」
(蛇足ながら、この曲は、100年おきに1日だけ奇跡が起こるスコットランドの村を舞台にした、ブロードウェイ・ミュージカル「Brigadoon(47年)」のスコアとして書かれた楽曲で、1954年にはジーン・ケリー主演で映画化されている)

この歌詞の通り、本作はSFチックなトラジコメディで、中盤まで観ていてちょっとモヤモヤ&イライラしながらも、最後の最後には、心の底からホッコリした気持ちが沸き起こり、無事にジ・エンドを迎える。

上手く云えないが、観終わった時…
人生をやり直すことは出来ないが、人生を新しく始めることはできる。
いくつになっても、いつからでも、人間、志を立てるのに遅すぎることはないと、教えられたような気がしてしまうのだ…。


最後に…

本作「恋はデジャ・ブ」のような、それまでの記憶を維持したまま同じ1日を繰り返すという、ファミコンをリセットしたような状況に置かれた主人公を描いた映画は、これまでにも結構ある。

殺人に巻き込まれた女性刑事が、時間逆行の装置を使って過去を変えようと苦闘する「リバース(97年)」、恋人のピンチを救うため、何度も同じ20分間を行き交う「ラン・ローラ・ラン(98年)」。

他にも「ミッション:8ミニッツ(11年)」や「オール・ユー・ニード・イズ・キル(14年)」、「パーム・スプリングス(20年)」等々あるが、この手のジャンルが多いのは、たぶん、過去と現在を行き来して同じことを繰り返す主人公と一緒に、観ているコッチ側も経験、あたかも成長しているように思えてしまうため、余計に感情移入しやすいからだろう。

日本のSF映画ファンの間では、ハリウッド産映画で本作がその嚆矢、初めてタイムループを映像化した作品とされているが、おそらく原典となるのは、1990年にケーブルTV用として製作された短編映画「12:01 PM(邦題:時の牢獄)」だろう。

SF作家リチャード・A・ルポフが、1973年に発表した同名小説を原作とした作品で、午後12時1分になると、同じ1日を繰り返すタイムループの中に閉じ込められた男が、その繰り返しに耐えきれなくなり、終いには自殺してしまうというストーリー。
その3年後には、「ヒドゥン(87年)」を撮ったジャック・ショルダーにより、ラブコメタッチに脚色され、「タイムアクセル 12:01」という題名の長編映画としてリメイクされている。
但し、日本での劇場上映はその年の東京国際ファンタスティック映画祭、その1度キリだけだった…。

ちなみに、原作者のリチャード・A・ルポフは、本作「恋はデジャ・ブ」の米国公開時、自分の小説「12:01 PM」が盗用されたと思い込み、法的手段に訴えようと約半年間、ハリウッドの各方面に働きかけたのだが、最終的に訴訟に持ち込むのは難しいと断念している。

(注:原案及びハロルド・ライミスと共に脚本を執筆したダニー・ルービンは、「恋はデジャ・ブ」がインスピレーションを受けた作品は、ウィリアム・ディーン・ハウエルズの小説「Christmas Every Day(1892年)」だけだと反論。毎日がクリスマスであればいいのにと願う女の子の夢が叶い、12月25日が1年間繰り返される物語だ…)

SF映画のジャンルだけに限ったことではないが、小説からのアイデア盗用で訴訟問題が起こることは珍しくない。

あの「ターミネーター(84年)」だって、SF文学の大家ハーラン・エリスンから、自分が脚本を執筆したTVドラマ「アウター・リミッツ(63年)」の一編「38世紀から来た兵士」と、小説「I Have No Mouth and I Must Scream(68年)」のプロットを「無断でパクった!!」と訴えかけられている。(注:訴訟になる前に示談で解決…)

ことの発端は、ジェームズ・キャメロンがSF映画専門雑誌「スターログ」の取材で、「『ターミネーター』は『アウター・リミッツ』のエピソードから影響を受け、参考にした」と、バカ正直にぶっちゃけたからなのだが…。

タイムトラベルを題材にした小説や映像作品に同じような場面・展開が多いのは、あくまでも勝手な意見で恐縮だが、人間誰しも一度は過去に戻って「あの楽しかった一時を再体験したい」とか、「犯した過ちを取り消したい」と想い願うからだろう。

更に付け加えれば、現在、科学の進歩は目覚ましく、理論だけなら恒星間飛行でさえ実現可能な時代ながら、タイムトラベルだけは、限りなく“不可能に近い存在”である。

不可能なだけに、夢のある、魅力的なテーマであることは確かで、それゆえ、小説や映像作品でタイムトラベルを主題にしたモノが、今でも数多く発表されているのだと思う。

まぁ、ネットとか見ると「人が回顧し始めたら、人生の終焉が近くなったサイン」と書いてあったりするのだが…(汗)、ただし、個人的には「コンビニで見かけた期間限定のスナック菓子、あの時買っておけば良かった」とか、「ランチはパスタにすれば良かった」とか、「友達にちょっと強く言いすぎた」とか、いつもの毎日が「あの時、ああすれば良かった」「もし〜していたら」と後悔するばかりの連続なのだけれど…(爆)。