三四郎

懐しのブルースの三四郎のレビュー・感想・評価

懐しのブルース(1948年製作の映画)
4.7
華族の没落、涙に潤む濡れた瞳でピアノを弾くヒロイン…。悲劇だが美しい。
どの映画にしても、科白の中に「澄ましている」「冷たい」「綺麗」「品がいい」などと高峰三枝子を形容する言葉がある。役柄ではなく、その女優自身を一人の女性として形容する科白は、彼女だけに存在しているような気がする。

上原謙が雨の中、外車を運転しながらハンケチを返すシーン。上原の科白はいつもながらキザだが、彼だからこそ違和感なく聞ける。彼が話している間、三枝子は一言も喋らず、ただ驚きと疑いから喜びと嬉しさへ表情を変えるだけだ。しかし、この間に二人の関係は縮まった。表情だけで台詞以上のことを語ることができるものなのだと、つくづく驚嘆させられる。

そして生まれ育った立派な家がホテル兼レストランになっているのは実に切ない。
吹きすさぶ風、窓の外の嵐、あの停電は、上原の心の迷いを描写しているのか?
真実を打ち明けたいが、何も知られずこのままの関係を続けたい…という。

会社のバックミラーに吊るされている人形が不自然で気になっていたが、やはり暗示だったのか。人形と言えば、子供か女性からの贈り物だ。奥さんからの贈り物であったことが療養所の妹の部屋にあった人形でわかった。こういう欠けたピースが一つずつ埋まり、パズルが完成するところもまた映画の面白さだ。

どうも華族没落物語は戦前にノスタルジーを感じずにはいられない。
ラストシーンもまた涙に濡れた光る瞳…悲劇は切ないが美しい。
三四郎

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