猫そぎチャンスペロッテ

黄色い星の子供たちの猫そぎチャンスペロッテのレビュー・感想・評価

黄色い星の子供たち(2010年製作の映画)
4.0
監督ローズ・ボッシュ製作歴史映画
出演メラニー・ロラン(アネット・モノ看護師)、ジャン・レノ、(ダヴィッド・シェインバウム医師)

第二次世界大戦中の1940年、ドイツ軍にパリが制圧され,フランス国土の5分の3を占領される、

そこでフランス中部の町ヴィシーに親独政権を樹立する(ヴィシー政権:ペタン元帥率いるドイツへの協力政府、ナチス人種差別政策を遂行)
またフランス側でも、一部ユダヤ人への蔑視があったことで、過酷なユダヤ人政策をとった、
フランスから10万人のユダヤ人を追い払う好機という、ゲシュタポ本部では10万人は多すぎる、1万人では少ないというやり取りをしている、

そしてヴィシー政権は、ユダヤ人に黄色い星形ワッペンの着用を義務づけるなど迫害を始めた、
さらに、ユダヤ人は大学・官庁から追放、新聞は『望ましくない人々』とユダヤ人を呼ぶ、ユダヤ人は公共施設を利用してはいけない、つまりカフェ・レストランや図書館・公園・商店に入ってはならない、また夜8時以降は外出禁止等

〈ヴェルドローム・ディヴェール〉
〈ヴェル・ディヴ大量検挙事件〉

さらにヴィシー政府はナチスの要求に応じて、1942年7月、フランス警察によるユダヤ人一斉検挙、女性も子供、赤ん坊も、13,000人ものユダヤ人が「冬季自転車競技場」に押し込められ放置された

その後、ロワレ県の2市の収容所に16,000人が連行され、2市の駅からユダヤ人を乗せた電車がアウシュヴィッツへと出発した

ヴィシー政権とドイツ軍は24,000人の検挙を計画したが、《ヴェル・ディヴ》の13,000人のうち生存者は400人、列車に乗せられた4,051人の子供たちは、1人も戻らなかった
仏国籍だった人たちは、まさかフランス人である自分たちを、国がドイツに差し出すことなどないと信じていた。

一方、パリ市民たちは10,000人のユダヤ人をかくまった。

1944年6月、連合軍がノルマンディーに上陸し、8月25日にパリが解放され、ドイツ軍が撤退すると後ろ盾をなくしたヴィシー政府は解体した。

それより前の1944年5月に臨時政府首班となったド=ゴールは、9月9日にパリに帰還、共和国家の再建を開始したが 、その過程で対独協力=ヴィシー政府協力者に対する正規の裁判を経ない復讐行為で約5千人が殺された。

ヴィシー政府要人は特別高等裁判所で裁かれ、首相のラヴァルと国家主席ペタンは死刑判決を受けた。ラヴァルは刑が執行され、ペタンは高齢を理由に終身刑に減刑された後、獄死した。



*戦後50年を経た1995年、フランスは時の大統領シラクが正式にユダヤ人に対して謝罪を行った。それまでヴェルディヴはフランスにとってまさに負の歴史だった。

*粘り強い取材と綿密な時代考証によって実際の出来事を限りなく事実のままに再現した、歴史映画2010年、‼️