紫のみなと

すぎ去りし日の…の紫のみなとのレビュー・感想・評価

すぎ去りし日の…(1970年製作の映画)
4.2
ロミー・シュナイダーは出演作を一度も観たことがないのにも関わらずその美貌やアラン・ドロンとの宿命の恋、43歳で死んだ人生などを思う時、ずっと私の脳内で特別な存在の女優でした。
ようやく観れた本作は冒頭、ミシェル・ピコリの起こした自動車事故のシーンで始まり、事故の場面はその後の現在進行形の場面に執拗に差し込まれるために、ラストは彼がどうにかなるのだなと言う事を念頭に鑑賞することになります。

ピコリは妻と納得しあって別居中、新しい彼女ロミーと同居しながら新天地での生活の計画を立てていますが、自分の築いた家庭への未練がこの期に及んで溢れている。妻は今でも仕事上のパートナーの上、すごく綺麗で(この女優の「大人」加減は凄かったです!)、そういった精神状態は家庭を持つ男にはあり得ることでしょうし、そこに地団駄を踏むように苦しむロミーの白のテーブルクロスに飛び散る赤ワインの様な女心もよく理解ができ、その辺りはしかしながらメロドラマに堕ちておらず、きちんと大人の関係として鑑賞できます。

とにかく本作のロミー・シュナイダーは綺麗ですね。
ロミーといえば絶対的にセンター分けを富士額の生え際にひっつめ髪(ここが横分けだったりふんわりしていると魅力が2割減になります)、輝くブロンズ肌にベージュの唇、意外に姿勢は然程良くなくて動作もドタバタとしてて洗練しかねる所がかえっていい。100%女、唯一無二です。映画の初めの方でピコリとベッドに横たわる裸の後ろ姿がモゾモゾとするシーンなど、一瞬だけど物凄い。

ピコリも高校生だった頃の私が食い入る様に観たフランス映画の全てに出ていた往年のスターですがあの頃私はピコリが熊にしか見えず名だたる美女のお相手としてハテナでしたが大人になってみるとミシェル・ピコリはアップに耐えうる男優ですね。本作はピコリの内面を描くシーンとしてアップが嫌というほど連発しますが、顔面に品がある。

音楽も素晴らしく、少し調べてみると「テス」のフィリップ・サルドで、ああ成程‼︎と激しく納得できたのでした。



以下ネタバレになりますが、ラスト、別れの手紙をピコリの遺品としてナースから手渡される妻、お願いだからその手紙はなかったことにしてあげて…!と、涙を浮かべて観ていると、窓の外、駆けてくる白のワンピース姿のロミーを観た妻が数秒後、破り捨てるシーン、そんなラストがああ、よかった。
ストーリーとしてはなんということない男女の機微を総じて非常に映画らしく描いた作品でした。