せきとば

鉄塔武蔵野線のせきとばのレビュー・感想・評価

鉄塔武蔵野線(1997年製作の映画)
4.7
中2の夏休み、深夜のブラウン管をザッピングしてる時にたまたま出会ってしまった。それ以来僕はどの映画が1番好きかと聞かれたら真っ先にこれを挙げ続けている。



小学校高学年の主人公、見晴が抱える自分を取り巻くものに関する複雑なやるせない心境、でもそれをまだ処理しきれずにただただ持て余してるだけのような状態を、映画初主演の伊藤淳史が青臭くもリアルな表現で完璧以上に演じていて最高。

夏休み、田舎、大人への階段というとノスタルジー映画としては役満、少年のバカ旅映画といえばそれも正解な訳ですが、それだけで片付けてしまうのはもったいないですよ。ホントに。



出会いと別れ、それとの折り合い、そういう人間の細かくて暴力的な機敏を、ただ悠然と佇む鉄塔が無言ながら半眼で見つめている。

鉄塔の下には見晴が居て、その奥には父が居る。足元の道はこれまでの沢山の不条理で出来ている。

こうなったら踏みしめて踏みにじって、とにかく前に進むしかない。立ち止まって飲み込まれる余裕なんてないのだから。



別になにかを解決したわけでもないし、状況が変わったわけでもないけど、与えられたルートではない一つの旅(だから旅行とは違う)を通して、自己とはなにかという部分に向き合い、折り合いをつけて生きていく準備を整えることはその先の(あらゆる形の)人生で起こる波乱を乗り越える上で重要な時期だ。

保健体育の教科書ではそのような期間をまとめて思春期と呼ぶ。この作品では少年の旅路を通してその成長が見事にパッケージされていく。

どうにもならない、正体さえわからない心を抱えながら鉄塔をひとつずつ追っていくこと、その先で沸き立つ情動やハプニング、そして遡っていく鉄塔の数々を通して、自分の気持ちの正体とも出会っていった見晴。

その姿はまさに中2当時のやんわりと鬱屈していた僕自身の代弁者であり、そして現実を変えるきっかけになるかもしれない理想像でもあった。鋭利なメッセージを突きつけられた夏の瞬間だった。

そして後に両親の仕事を継ぐことになる僕の一号鉄塔への旅がこの日始まった。
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