デニロ

突然、嵐のようにのデニロのレビュー・感想・評価

突然、嵐のように(1977年製作の映画)
3.5
1977年製作GW公開作品。同時上映は『恋人岬』。

女子を誘って映画を観に出掛けた。わたしはデートのつもりだったのだが彼女のリクエストは『神々の深き欲望』。既に2回観ていて、え、と思ったのだが仕方がない。夕方、池袋の駅前で待合せた。当時、池袋東口は得体のしれぬ有象無象が勧誘に心血を注いでいた。適当に受け流しているところに彼女がやって来て、誰なんです?/何かの宗教/時間があったんで新宿で映画観てました/(変な奴と思いながら)何を観たの/郷ひろみの『突然、嵐のように』/郷ひろみには何の興味もないが山根成之監督のファンだったので『さらば夏の光よ』の話で盛り上がったはずだ。きっと。

人の記憶など都合の良いように塗り替えられていくものだ。実際はどうだったのか、盛り上がったのか、もはや定かではない。『神々の深き欲望』なんて3時間もある作品だったので、終映は午後9時を過ぎていただろう。確かデパートも閉まっていて、そのまま別れたような気がする。

その後、彼女が書いた『突然、嵐のように』評を読んだ。突然、郷ひろみの顔が観たくなって、あの顔が観たくなって、観に出掛けた、と始まる文章だった。彼女とわたしにしか分からないこころの機微だ。「ジェーン・エア」のことや、秋吉久美子の最後の台詞「そうよ。新婚旅行なのよ。」に触れて書いていた。

だから、本作はわたしにとっては大切な作品。過去を調べてみたら4回も観ていた。でも、ストーリーはほとんど忘れている。何でふたりが大雄山で別れるんだっけ、と画面を観ながらかんがえていた。

若い人は前しか見ていないから、未来しか見ていないから、それを見つめるわたしは彼らが眩しくて仕方がない。新入社員に接するやそんな彼らを気恥ずかしく感じる反面、実に神聖な気持ちにもなるものです。組織にも新陳代謝が必要だということがつくづくわかる。本作の秋吉久美子は代表格だ。常に前に前に進もうとする気持ち。その気持ちが周囲にも影響を与えていく。

43年も前の感慨に耽っている場合ではないけれど。

脚本中島丈博、山根成之 。監督山根成之 。
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