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カラーパープルのYYamadaのレビュー・感想・評価

カラーパープル(1985年製作の映画)
4.1
なぜ?【アカデミー未受賞の大傑作】
第58回 (1985) アカデミー作品ノミネート
◆同年のアカデミー作品賞作品
 『愛と哀しみの果て』

【監督スティーブン・スピルバーグ】
第9回監督作品
(含『激突!』/除『トワイライトゾーン』)
◆ジャンル:  
 人間ドラマ
◆主な受賞歴
 なし

〈見処〉
①黒人女性の半生を描く感動作
・『カラーパープル』(The Color Purple)は1985年に公開された、スティーブン・スピルバーグが『インディ・ジョーンズ / 魔宮の伝説』(1984年)の次作として演出した第9回監督作品であり、キャリア初のシリアスドラマである。
・「カラーパープル」とは、著名なフェミニスト、アリス・ウォーカーが自身のルーツを元にしたピューリッツァー賞受賞の同名小説の執筆時に自然の中には美しい紫色が多い事に気付き、原作タイトルとしたもの。
・本作の舞台は黒人差別の色濃いアメリカ南部のテネシー州。14歳の少女セリーは父から性的暴力を受け、2度の望まぬ妊娠を経験するも、我が子を一度も抱くことなく父は赤ん坊を売り飛ばしてしまう。
・その後、父は新しい妻を迎え、その父の結婚式に参加したミスター(ダニー・グローヴァー)はセリーの妹ネティを惚れこみ求婚をするが、姉妹の父はネティの代わりにセリーをミスターの元に強制的に嫁がせる。
・強権的なミスターとの生活は過酷で、唯一の心の支えだった妹ネティとの仲も無理矢理引き裂かれてしまう。絶望するセリーだが、ミスターが町で恋人付き合いをしていた歌手のシャグと出会った事で、彼女の内面が少しずつ変わってゆく…
・1909年から1937年に至る黒人女性セリーの過酷な半生記を、コメディ舞台出身の新人ウーピー・ゴールドバーグを主演に迎える。明るく陽気なイメージとは正反対の静かな演技を披露し、演技力の高さを証明。映画デビュー作にしてアカデミー賞の候補となった。
・また、ブレイク前のダニー・グローヴァー、ローレンス・フィッシュバーンなど、後の名優が脇を支えている。
・公開当時には、非常に激しい賛否両論が駆け巡った本作であるが、公開から30年以上経過した現在においても、魂に響く感動作であることに変わりはない。

②スピルバーグ39歳の転機
・前作では「猿の脳ミソのシャーベット」を演出していた娯楽作品の若きキングメーカー・スピルバーグにとって、本作公開の1985年から『ジュラシック・パーク』『シンドラーのリスト』公開の1993年までは、まさに「苦難の時代」。
・本作製作のきっかけは、製作者キャスリン・ケネディに薦められて原作を読んだことから。スピルバーグは、白人が監督するリスクを承知の上で、映画化したいと熱望、原作者アリス・ウォーカーは白人(ユダヤ系)のスピルバーグに監督を任せることに難色を示していたが、著名な黒人作曲家のクインシー・ジョーンズがスピルバーグを推挙したことで了承したという。本作の作曲が盟友ジョン・ウィリアムズではない理由はここにある。
・本作におけるスピルバーグのチャレンジは「30年に渡る半生記を二時間半で描き切ること」「原作にある激しい差別と性描写という難材料」「姉セリーの妹ネティを並行して描くこと」。
・本作によるスピルバーグは、妹ネティの手紙の朗読を所々に挟み、ストーリーを構成。冗長な大河ドラマにならないような工夫を見せている。
・また、過去作品ではほとんで使用しなかった「カットバック」手法を多様。とくに、終盤に、歌姫シャグ達が教会に詰めかける場面は、カットバックにより、2つの場面を対比させ、相乗効果的に盛り上げる。
・また、性描写や暴力に対するスピルバーグの配慮は画面から見て取れる。とくに、
黒人女性オプラ・ウィンフリーが白人市長を殴る、ご法度なシーンでは、クルマを横断させることで直接的な描写を控えている。「原作にあるシニカルな描写がスピルバーグの演出にて影を薄めた」の論評は、少し可哀想だ。
・しかしながら、スピルバーグによる紫を基調にした美しい映像表現に対して「過酷な叙事詩をファンタジー化した」と槍玉に挙げられたのは、何となくわかる気がする。

③根深い偏見と差別
・本作が描く社会差別は「黒人間による性差別」が中心。『それでも夜は明ける』(2013)にあるような、白人による有色人種差別を直接的に描いていないのは、時代がまだ早かったためだろう。
・それにも増して、本作が第58回アカデミー賞において、作品賞を含む10部門11ノミネート(助演女優賞は2人が候補()あがったので11候補)にあがったにもかかわらず、
無冠に終わり、かつスピルバーグは監督賞候補入りにすらならなかったのは、当時のハリウッドにおける「スピルバーグに対する根深い偏見」とともに「メリル・ストリープとロバート・レッドフォード主演作が、黒人女優主演作に負けてはならない」があったからではないだろうか?
・また、「黒人映画は黒人にしか撮れない」といいながら、イギリス人監督リチャード・アッテンボローによる『ガンジー』がアカデミー戴冠するなど「娯楽作品出身監督」に対するハリウッドの「やっかみ」と「偏見」はスピルバーグ自身による『シンドラーのリスト』や、R.ゼメキスの『フォレストガンプ』、J.キャメロンの『タイタニック』の公開まで続くことになる。

④結び…本作の見処は?
○: ウーピー・ゴールドバーグによる寡黙な演技は胸に刺さり、ラストシーンは大変感動的な叙事詩に仕上がっている。
○: 歌姫シャグ達が教会に詰めかける場面のカットバックに、スピルバーグの確かな演出力を感じる。
○: 批評の対象となった紫色の美しい描写は、むしろ本作の見処であるはず。
○: アメリカ南部の黒人社会を再現した美術もリアリティーが高い。
▲: 主人公セリーの半生は見ていてとても辛い。スピルバーグによるソフトな演出でなければ、鑑賞に耐えられなかったかも。
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