コウ

カラーパープルのコウのネタバレレビュー・内容・結末

カラーパープル(1985年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

原作は未読です。
現在公開中のリメイク作品を鑑賞予定のため視聴。

性被害や差別に苦しみながら生きてきた黒人女性の主人公セリーが、そこから抜け出し自分の本当の人生を生きるまでの半生を描いた物語。

差別というと白人による黒人差別と言う構図が思い浮かびますが、今作は主に黒人間での男女差別にフォーカスして描かれた作品です。
また、映画ではサラッとした描写で流していますがLGBTQ的要素も含まれており、今作をリメイクしたのが現在である事に様々な視点から納得させられました。

とにかく主人公であるセリーの半生が辛い。
父親から性被害を受け、14歳で二度の妊娠と出産を経験。産んだ子は売りに出され、しかも愛する妹もまた父親の毒牙にかかりそうになる。
いやもう、こんな地獄があってたまるかと。映画が始まってすぐに心折れそうになりました。

その後、セリーは妹のネティを欲しがった男の元へ嫁がされる事になるのですが(この時の父親のセリーに対する言い草がまた最低最悪!)この夫となる男性が男尊女卑の人間で、彼女はまるで奴隷の様な扱いを受ける事になります。

このダニー・グローヴァー演じるミスターが本当に酷い男で、演者の演技力の高さに比例して、観ているこちらの不快度はどんどん高まります。
しかも、セリーの前では支配する事が当たり前だと思っている典型的なモラハラ男の彼が、シャグの前ではまるで違う男性になるんですよね。セリーにとっては”ミスター”という恐るる男が、シャグにとっては可愛いところがある愛すべき”アルバート”であるという事実。
ミスターが料理に奮闘する描写を観ると、本当に人間というのは二面性の生き物だなと痛感します。この辺りの描写ではコメディ要素も垣間見えるのですが、観ているこちらからすると、いや、こんな屈辱あるか?と感じてしまいました。
セリーにはミスターへの愛はないでしょうし、シャグという女性との出会いでその後の彼女の人生が変わるのだから、その点は救いと言えるのでしょうけれど。

辛い描写が多い分、セリーとネティの姉妹仲の良いやりとりはとても微笑ましいです。
いつかの時のためにと学校へ通う事にした妹が、姉に文字を教えるというのも本当に健気ですよね。単語を書いた紙をいろいろな物に貼って二人で勉強する姿だったり、一緒に歌を歌ったり本を読んだり…。しかし楽しい時間であるはずのそれらも、本来ならば年相応の少女として当たり前のように享受できるべきなのにと思うと、観ていて苦しくもなります。

セリーがネティからの手紙を初めて読むシーンでは、涙が止まりませんでした。
ミスターが手紙を隠している事もわかっていて、何年もずっと返事の来ない手紙を書き続けていたネティ。せめて自分が生きている事だけでも知っていて欲しいと思いながら、姉を愛する気持ちだけで書き続けていたのでしょう。
郵便ポストに触れることができず、長い間ずっと手紙を待ち続けたセリーと、それをあっさりと開けて手紙をセリーに渡す事ができるシャグ。この対照的な二人の対比がまた辛い。

シャグとの出会いによって、セリーは虐げられるだけの弱い女性から強さを持った女性へと変わるのですが、シャグもまた父親との確執があり、心に傷を持っている。強いだけの女性ではないのですよね。
教会でシャグと父は神の愛と赦しでもって互いを抱きしめ合いますが、個人的にはこの時にシャグが父に告げた言葉が、ラストのミスターの行動にも繋がっているように感じられました。
“罪人にも魂はあるのよ”

教会で歌われていた ”God Is Trying To Tell You Something=神はあなたに何かを伝えようとされている” という曲の中で、“Heal my soul “ “Save my soul”というワードが出てきますが、これはシャグだけでなく、ラストシーンのセリーの事も暗示しているように思いました。
この映画のタイトルにあるパープルを纏って再び自分の前に現れた最愛の妹を目にした時、これまでの辛かった半生を生き抜いてきたセリーの魂は救われたのではないかと。
目に鮮やかなそれだけではなく、実はごく身近にもある紫色には意識しないと気づくことはできません。花畑に自然と在る紫の花ように、これまで自分の目には見えていなかった美しいカラー・パープルを目にすることができるようになったセリーは、本当の意味での自分の人生を、これから生きていくのでしょう。

セリーとシャグだけでなく、ソフィアについても色々と思うところがあるのですが、長くなってしまったので割愛します。

名作と言える作品だと思いますが、時代だとか人種だとか、そういった言葉では片付けられない現実を実際に生きたセリーの様な女性が確かに存在していたのだろうと考えると、"良い映画"だと言うのは躊躇われます。
しかし観た者をこうした気持ちにさせた時点で、映画としては成功なのでしょう。
コウ

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