ブタブタ

バロウズの妻のブタブタのレビュー・感想・評価

バロウズの妻(2000年製作の映画)
2.5
ウィリアム・S・バロウズ、この世で一番好きな作家。
なので公開時は楽しみに映画見に行った記憶がある。
そしてガッカリした記憶も。
しかし原題は『BEAT』だよ。
何をどうすれば『バロウズの妻』になるのだ?
この邦題付けた奴は金星サソリに擬態する緑少年団(グリーンボーイズ)の重金属マラに掘られて神経肉切り棒で死童殲滅されろ。
バロウズは自分や他人が書いた文章を適当に切ってシャッフルして貼り合わせたり、折り込んで貼り合わせたりする文章技法「カットアップ」「フォールドイン」で文学史に名を残しちゃった凄い人。
これは誰でも真似できるものではなくて、少なくともカットアップとフォールドインを使って作品を作る事に成功したのは「女バロウズ」と呼ばれた早逝の偉大なる女性作家キャシー・アッカーとあとデビッド・ボウイの二人くらいしかいない。

バロウズはキーファー・サザーランド、そしてヒロインはバロウズの妻役のコートニー・ラヴでなく若き日のノーマン・リーダス。
ノーマン・リーダスが男も女もその気はなくても引き付ける魔性の美青年ルシアン役。
ハッキリ言ってルシアンが主役。
コートニー・ラヴがどう考えても主演だけど可也損な役まわり。
バロウズ夫妻も男達も女達もルシアンに夢中である。
キーファー・サザーランドはほっぺがぽっちゃりしてるのでバロウズには見えないのが致命的。
若き日の美しきノーマン・リーダスを愛でる、それだけの映画なのかも知れない。

『キルユアダーリン』と内容は被る。
後に何れも世界的作家・詩人として文学界に名を残すWSバロウズ、アレン・ギンズバーグ、ジャック・ケルアックと後にジャーナリストになるルシアン・カーの虚実交えた群像劇。
ルシアンに纏わり付くストーカー気味の恋人デヴィッドをルシアンが刺殺した事件と彼の交友関係が前記の通り世界的作家達だった為にスキャンダラスな事件としてフィクションのネタにされてるけどイマイチ面白くない。


クローネンバーグの『裸のランチ』がバロウズの原作とは全く違う話しの様に(ていうかバロウズの小説が映画になるか)本作も内容的には寧ろバロウズの『おかま【クィーア】』ではないだろうか。
メキシコ紀行の時代が中心だし、他の人も言ってますがノーマン・リーダス演じる美しいルシアンを巡るバロウズやギンズバーグらの作家面々男達と其れをヽ(・∀・ )ノ キャッ キャッしつつ愛でる話しなら寧ろ『おかま』でなく本作は『おこげ』のタイトルの方が相応しい。

バロウズの「ウィリアム・テルごっこ」による妻射殺。
若い愛人たちとドラッグと旅。
を描いてるけどバロウズの小説の欠片もここにはない。
この映画の監督はマトモだ。
これ『アメリカンサイコ』の時も感じたけど(オープニングのお洒落感も共通)狂った小説の映画化は狂った才能の人(トリアーとかホドロフスキーとか)でないと全然気の抜けた作品になる。
この監督は何かアーティスト系?写真家の人らしい。
同じく写真家で映画監督の蜷川実花先生の『人間失格』の方が何かバロウズの様な気がする。
キーファー・サザーランドより小栗旬の方が(痩せてる分)バロウズに似てる。
あの気の狂った極彩色の世界はバロウズの描く(妄想の)熱帯の金星の風景。
何かよく知らないけど有名な作家の愛の彷徨を描く、みたいなお洒落映画を撮ろうとして失敗してるのも共通してる。
しかし、おブンガクの欠片もそもそも興味もない蜷川実花先生の方が映像作家としてバロウズに親和性があると思う。

バロウズは妻を射殺した後、モロッコのタンジールに旅立つ。
1950年代のタンジールは北アフリカ・モロッコ、ジブラルタル海峡に面した港湾都市で地中海入り口という戦略的位置から列強諸国争奪の的で鎖国体制のモロッコの外交都市であり仏・西・英の国際管理下に置かれ第二次大戦後、国際管理地区(インターナショナル・ゾーン)となった。
貿易で栄える一方、一種の無政府状態であり犯罪者や地下組織ゲリラ、麻薬組織が蠢く魔都であり同時に世界中から作家や芸術家が集まっていたという。
バロウズも麻薬や男娼漁りに加えてタンジールでのこの日々が創作に多大なる影響を与えたらしい。
バロウズの小説に登場する架空の近未来都市〈インターゾーン〉はタンジールがモデルで『裸のランチ』にも疫病や新型ウィルスが蔓延し、其れを兵器利用しようとする武器商人や第三次大戦に参戦した超能力者や宇宙からの未知の怪物が跋扈する異界であり、このバロウズの「タンジール紀行」を『裸のランチ』等の小説、虚実交えたバロウズのフェイク・セミドキュメンタリー(?)として映画化したら凄く面白いと思うんだけど。
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