まぬままおま

救ひを求むる人々のまぬままおまのレビュー・感想・評価

救ひを求むる人々(1925年製作の映画)
4.0
ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督作品。

世界ではじめての「思想を持った映画」。
それを知ったのも岩崎昶の『現代映画芸術』の記述(p.152-154)からなのだが、映画史において重要な作品であることは間違いない。

しかし「思想」というよりかは「思いやり」であり、人間が精神を持ったといったほうがいいと思う。
というのも、本作は世界ではじめて「Thought」を扱った作品なのだが、それを左翼学者の岩崎は、「思想」と何とも政治/運動の文脈に載せて言っているような気がする。確かに主人公は港湾をぶらつく無職の若者であり、貧困といった主題があるから、そう言うこともできる。風景をドキュメントしているから尚更だ。だが重要なのは映画の登場人物が物語を駆動させる「自動人形」ではなく、人情の機微に富んだ顔や行為をする「精神を持った人間」であることだろう。

本作で描かれる彼らの人物像は、現代の映画に通じる人物像の原基のようだ。不安や葛藤、暴力への衝動が顕わになっているし、映画が人物を「写す」から「表す」となり、さらに魂や心性に迫っていくことになると思えば、感慨深いものがある。チャップリンが激賞したのもうなずける。

スラップスティック・コメディーのような行為もある。子どもを持ち上げて運ぶとき、1回転するとか、最後の殴り合いもそうだ。それは自然な行為とは思えないが、純粋な映画としての面白さとみれば十分である。

精神を持った人間を表すために。
本作はどうしても引き画によるショットが多いのだが、さらなる映画技法としてクロース・アップやカットを割ること、カメラワークが後の作品で発明されていったのだろう。やはり転換点になった作品のようで、みてよかったなと思う。

参考文献
岩崎昶(1971)『現代映画芸術』岩波書店

追記
岩崎は本稿の参考文献で以下の記述を行っている。

「彼はアメリカで同志をあつめ、僅か四000ドルの資金で「救いを求むる人々」(一九二五)を作ったが、それは世界ではじめての「思想を持った映画」motion picture with thoughtであると最初の字幕で誇らしげに宣言していた」(p.152)

私のみたヴァージョンでは字幕で「motion picture with thought」の表記は確認できなかった。それが誤りかどうかは調査が必要ではあるが、仮に誤りであっても岩崎が本作を扱って記述したことの妥当性が損なわれることはないと思う。

以下、私のみたヴァージョンの字幕。

字幕1「There are important fragments of life that have been avoided by the motion picture because Thought is concerned and not the Body」
字幕2「A thought can create and destroy nations --and it is all the more powerful because it is born of suffering,lives in silence,and dies when it has done its work」
字幕3「Our aim has been to photograph a thought --A thought that guides humans who crawl close to the earth --whoose lives are simple --who begin nowhere and end nowhere」  
字幕4「THE THOUGHT」
字幕5「A harbor --like all the others:Mud,water,and sometimes the sun」

字幕5は次のショットの説明描写なのだが、4と5の繋がりがよく分からない。

蛇足
岩崎昶のwikipediaをみると、「啓蒙的批評家の一人であり左翼陣営の戦闘的映画人と目される」と書いてある。かっこいい。私はこういう人が好きだし、「左翼学者」という表現も愛を込めてである。