タチユロ氏

最後の誘惑のタチユロ氏のネタバレレビュー・内容・結末

最後の誘惑(1988年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

磔刑にかけられたキリストに訪れる最後の誘惑。

監督マーティン・スコセッシ×脚本ポール・シュレイダーの黄金コンビがキリストの生涯を描いた巨作。『タクシードライバー』をはじめとした殺伐とした暴力衝動に苛まれる映画を作ってきた二人が、それぞれの重要なルーツでもあるキリスト教にかなり深く切り込む。

全体としてはしっかりとした作りではあるものの、いくつか論争を引き起こしたポイントもある。

まずはキリストのキャラクターを元から神性を帯びていたわけではなく、少しずつその役割と宿命を自覚していくとしている。
そして問題となる「最後の誘惑」ではキリストがマグダラのマリアと結婚し子供を設け、普通の人間として生活したかったという願望があったと見せてしまう。これはキリスト教徒の方々的には大問題だろう。

結果的にキリストはその誘惑を退けるものの、そこにはあくまで“人間”キリストの苦悩が滲んでしまう。キリストを演じるウィレム・デフォーのグラデーション豊かな演技も相まって、キリストという人物の中で“人間”と“神”の比率が入れ替わっていく様が目に見える。

それとユダの解釈もだいぶ違う。
ユダといえば“裏切り者”のイメージだが、ハーヴェイ・カイテル演じるユダは武人のような印象。仁に厚く、彼もまた神の使命を負ってキリストを殺す宿命にある。
この解釈は個人的にはかなり腑に落ちるものではあった。

万人が見て面白い映画でもないし、キリスト教徒でもない身からすると他人事のような印象はどうしてもあるのだが、人間キリストを演じたウィレム・デフォーをはじめ役者たちに対してはよくこのあらゆる方面に角が立ちそうな役柄をやり切ったという見応えはある
タチユロ氏

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