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精神(こころ)の声のshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

精神(こころ)の声(1995年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

激しい戦闘シーンを見せないことで、その凄絶さを描く。
ということなのか、
もっと重要なことはもう充分映していたのではないか?
と自分の中であれこれ考えが右往左往した。



1994年6月頃、紛争が続くタジキスタンへ派兵されたロシア軍兵士(国境警備任務)の生活に、ソクーロフ監督撮影チームが約半年間密着したドキュメンタリー作品。全5話。


柴三毛「お肌にできた黒い小さな点みたいな見た目です。そこから毛が生えることもあります。」

波平「バッカモーン!それは精神(こころ)の声ではなく、黒子(ほくろ)の声じゃ!バッカモーン!!」

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【第1話】
長さ30分程度の第1話なのだけれど、30分の大半がとある風景の定点映像で(マジだぜ!)、寂れた湖畔?岸辺?みたいな景色がクラシック音楽をBGMにひたすら映される(普通にビビった)。
 時たま、モーツァルト、ベートーヴェン、メシアンといった音楽界偉人の天才性を讃えるナレーションが入る。
「偉人というのは、我々凡人よりも生きていく上で何度も折り合いをつける必要があり、苦労の連続に違いない」
と天才達を労うナレーション。そして、これから戦場へ向かう兵士達も同様に偉大であると言う。

終盤にナレーションが
「モーツァルトの交響曲第23番をもう一度聴いて、しっかり記憶してほしい。」
みたいなことを言う。
流されるクラシックの曲達はひょっとすると死んでいった兵士達へのレクイエムなのかも知れない。と思うと取り急ぎ厳かな感に打たれた。
また、一瞬だけ眠りにつくロシアの若い兵士の寝顔も映されており、第1話の風景というのは眠るロシア兵が見ている夢の風景なのかも知れない、というネットの解説があり、これまた取り急ぎ厳かな感に打たれた。
とりあえず、ただもんじゃねぇですわな、この映画。

定点映像でおんなじ風景がずっと映っているだけでも、じっと見ていると小さな変化が処々に見つかる。靄がかかり、鳥が飛び、人が歩き、火が起こる(危ない!)。上映後のトークショーで代島監督という方が第1話の形容として「固定映像だけれど、時間が動いているのが確かに感じられる。まるで美しい風景の絵画に時間が内含されているやうだ。」みたいなことをおっしゃっており、なるほどなと思うと同時に取り急ぎ厳かな感に打たれた。やっぱ業界のプロは眼識が凄いですわな。



柴三毛「シンガーソングライターとしてデビューしました。マジカル頭脳パワーでは秀才キャラでした。最近は世田谷で車やバイクをいじっています。」

波平「バッカモーン!それは精神(こころ)の声ではなく、所(ところ)の声じゃ!バッカモーン!!」

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【第2話】
兵士達がいよいよ戦場へ向かう。第1話と異なり、人がビシバシ映し出されるけれど、それでも映画は静か。喋っているシーンも特になく、誰が誰なのかとかもさっぱりわからない。出発のヘリコプター内にて、兵士達の顔がまじまじと映される。真剣さと緊張と不安が入り混じったやうな重苦しい雰囲気。とある1人の兵士の顔のズームを長時間映し続けるのだけど、これ以降も本作では兵士の顔のズームが何度も映され、何かと思わせるところがあった。そいで、この時のこの兵士の表情というのは戦場をまだ経験していない表情(初めての徴兵であれば)だと思う。

戦場であるタジキスタンへ到着し、味方のいる基地を目指す。アフガニスタンの敵が待ち伏せしている恐れがあるとのこと。観ている我々にも緊張が伝わる。それでもずーっと映画は静か。岩肌むきだしの荒れ地をずんずん進む。基地へ到着。少しホッとする。


柴三毛「見た目と女性の扱いには自信あります。女性から貢いでもらったり、女性を喰い物にしてこそ、男としての値打ちがあると思います。」

波平「バッカモーン!!!それは精神(こころ)の声ではなく、ジゴロ(じごろ)の声じゃ!バッカモーン!!」

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【第3話】
第3話では兵士達による戦場見回りの1日が映される。自軍基地から見回りポイントへと向かうため険しい山道を進み、塹壕の中だったり、見晴らしの良い所などで見回り?や見張り?を行う。
 多くの戦争映画であれば、敵陣との攻防など手に汗握る展開があったりするけれど、本作ではさういうことは無し。ただひたすら見回り?見張り?を行い、ある者はタバコを吹かし、ある者は酒を呑み、雑談し、本を読み、寝っ転がり、と各自思い思いに過ごす。   
 食事も戦場だけあって質素だけれど、仲間で集まって食べるのは微笑ましい。
兵士だけあってか、みんな立派な体格なのだけど、撮影カメラを向けられると、照れ笑いしたり普通の市井の人々というのがわかる。

で、タジキスタンのこの戦場というのが素晴らしく雄大な自然の土地で、山と谷がデデン!と見渡す限り広がる。雄大なのだけれど、言っちまえば僻地中の僻地で何にも無い。鮮やかな花もみずみずしい緑も大して無い。セブンイレブンやヨドバシカメラも無い(タジキスタンの首都にはあるのかしら?)。ただむきだしの岩や土があるだけ。

中盤にビックリ展開で、見回りをしていた兵士達が山の上の見晴らしの良い所で、ボロいラジカセでロシアの歌謡曲みたいなのを大音量で鳴らし出す(マジだぜ!)。
自分は普通にビックリしたが、見回りをしている兵士達は当然のやうにラジカセを鳴らし、というか兵士多数が寂しい小動物かのやうにラジカセの周りに集合していて、いよいよ驚いた。そしてこの歌謡曲?がこれまた何とも言えず哀愁のある感じで、何と言うか安い中国系の微エロマッサージ屋さんの店内BGMで掛かっていさうな気のする選曲で、我々観客は何とも言えない香ばしい気分にさせられるのであった(俺だけか)。
 で、ハイライトは、そのラジカセを鳴らしている時に、空一面が雲に覆われて雨こそ降らないながら雷がバリバリバリッー!と鳴り出す。どんよりとした曇り空の下、ロシアの大男達がボロいラジカセを囲んで、珍妙なロシアン歌謡曲が流れる中、ビシバシ雷の閃光と轟音が響き渡るという、ガンギマリのシュールレアリスム絵画よろしく、この世の地獄みたいなシーンがスクリーンに映し出され、「あの世の地獄の方がもうちょっとマシだぜ」と閻魔大王様も思わず気弱になるようなシーンであった。何じゃこりゃ!!

そんで見回りの役目の時間が終わったらしく基地に引き返す一行。基地へ帰る時にソクーロフ監督ら撮影クルーが兵士達の列の最後尾だったやうで(しんがりって危険だものね)、それに関して監督がナレーションするのだけど、
監督「帰り道、自分達は最後尾だった。兵士達から特別扱いはされていないやうだ。そもそも自分達は彼らから仲間だと思われているのだらうか?」
みたいな感じで不安になっていてちょっと面白かった。
そもそも何で戦場に撮影チームが潜入できたのかすげぇ疑問。



柴三毛「粘り気あります。白い…」

波平「バッカモーン!!!それは精神(こころ)の声ではなく、とろろ(とろろ)の声じゃ!すぐわかったわ♪ばっかもぉん♪♪」

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【第4話】
序盤はいつにも増して和やか。「一体だうしたのか?」と自分が奇妙に思っていると、一部の兵士達数名が除隊なのであった。みんな笑顔で除隊する兵士達と抱擁や握手を交わし、見送る。寂しいに違いないけれど、いつか除隊する未来の自分を重ねたりして希望を抱いたりしているのかも知れない。

そして、ついに基地が攻撃される!一気に緊張が高まる。けど、何というかずーっと退屈だったところに突然緊張が来るので、変な感じ。銃撃の音が響く中、塹壕の中でも笑って雑談している兵士も普通におり、これが実際なんだなぁと思わされた。
監督のナレーションでも「最初はほとんど恐怖を感じなかった」と言っていたので、さういうものなのかしらん。
 負傷した人も出る中で、一旦休戦。照り付ける日差しの中(日中がクソ暑いらしい)、汗まみれになりじっとしている兵士達。何も喋らない。カメラは無言の兵士達の顔のアップを映し続ける。


柴三毛「あぁ〜、だから今夜だけは〜♪君を抱いていたい〜♪あぁ〜、明日の今頃は〜♪僕は汽車の中〜♪」

波平「バッカモーン!!!それは精神(こころ)の声ではなく、心(こころ)の旅じゃ!そろそろネタギレか?もう一息じゃ!バッカモーン!!」

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【第5話】
最終話。
「この戦場の山では、1メートル上がる毎に命の重さが軽くなる。反対に命の尊さは際立つ。」
みたいな恐ろしいナレーション。
基地にてロシアへ手紙を書く兵士達。戦場からロシアまでの郵送は3ヶ月かかるとのこと。郵送も何もかも不自由な戦場で、自由なのは鳥だけ。その鳥も飛び去ってしまった。ロシアへ飛んでいったのかも知れない。

20歳そこそこみたいな若い3人組が戦場で待機している。どこかで激しい銃撃音が鳴り響く。一瞬、銃撃音のする方へ視線をやるけれど、大して近くないとわかると、彼らは「右手と左手、どっちに石を持ってるでせうか?」というゲームをおっ始め、ケラケラ笑っている。凄ぇよ。吉祥寺で一発でも銃撃音したら、老若男女全員もれなく大パニックだぜ。

第2話の戦場入りから半年ほど経過し、戦場は1994年12月31日。大みそか。新年を祝うべくみんなささやかなパーティの準備。ケーキとピロシキを焼き、お酒を開けて、家族の幸せを遠くから祈る。0時になり、みんなで乾杯をする。弾ける笑顔。束の間の休息。やっぱりみんな普通の市井の人々である。
和やかなパーティーもしばらくしたら、一部の人は見回りへ向かい、和やかさの反動なのか基地に残っている人でも重々しい表情になる人や、中には涙を流す人も。

年越しパーティーに参加せず、前線である山の中に待機している兵士達もいるのだけど、とにかく過酷なところで頑張っている。
この第5話を見ていて、この戦場がとんでもない僻地というのをまざまざ見せつけられた。むきだしの山に穴を掘って潜んでいるだけなのである。家具はあるっちゃあるけど、電気も水道もない。

ソクーロフ監督ら撮影チームは、午前三時とか四時の深夜に山の中で見張りをしている兵士達の元へ向かう。暗く狭い穴倉の中、兵士達が居て、監督達の来訪を歓迎し、お酒でもてなす。「また明日のお昼伺いますね。」と監督達は兵士達に別れを告げ、基地へ戻る。山の中での見張りが絶望的に退屈で苦しさうなのが伺われる。監督達の帰り道がチラッと映るけど、深夜の真っ暗闇の中、急斜面の崖みたいな道と呼べない道を帰っており、本当に命がけなんだなぁとビビった。吉祥寺は平和である。

基地での新年のお祝いもお開きで、眠る準備をする兵士達。1995年はどんな年になるのか。ロシアへ帰れるだらうか。みんな眠りにつく中、映画では男女の会話が挿入される。ラスコーリニコフとソーニャの会話らしく、「神なんていない」や「私は汚れている」なんかのやり取りが印象的に響く。

映画の最後は戦場であるタジキスタンの自然が映される。第1話の自然風景は夢か現実かわからないけどロシアの風景だったやうである。今度は戦場であるタジキスタンの風景で夢ではなく現実である。
終わり。


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ネットの解説にて本作が「映像表現による瞑想」や「長編映像による詩的表現」などと紹介されており、取り急ぎ厳かな感に打たれた。
いわゆる戦争映画でよく取り扱うやうな「派手な戦闘、死体、電撃作戦、英雄」などはビタ一文出てこない。戦闘シーンがそもそもほとんどなかった。
反対にたっぷり映すのは兵士達の無言の表情ドアップ。ここに精神(こころ)の声を表しているのだらうなと思ったけど、凄いなぁと思ったのが、第2話の戦場入りする前の時点で兵士の顔面アップを撮っているのである。戦場の悲惨さを見て、顔面を撮りだした訳ではなく元々監督がさういう意図を持ってたということなのだらうか。

ナレーションなどから死者が多数出ていることは察せられたけど、映されるシーンはほとんど非戦闘時の日常。観終わった直後はいささか戸惑った。けど、2、3日経ってふと「わかり易い悲惨さ(戦闘)の描写が無くても、想像できるでしょ?」と言われているやうな気がした途端、取り急ぎ厳かな感に打たれた。

そして、思うのがこの映画では兵士の人達の普通っぽい所を多く映しており、彼らが我々と変わらない市井の人間であることを描いている気がした。我々と変わらない普通の人間が戦場を経験すると見せるやうになる表情。

兵士達の顔面アップの表情を見ても自分は「苦しいんだらうな…」くらいしか想像できなかった。自分は経験したことがないので、戦場で戦争を経験した人の感情を知らない。その感情がだういうものなのかわからない自分が兵士の表情を見て、一般生活で経験する感情でわかった積もりになっても、それは勘違いでしかないのでせう。だから彼らの表情は自分の知らない感情の表情だと思う。
知らないことは理解できない。その理解の一助となるべく、精神の声という気がした。


そもそも本作は何の紛争なのか?と思い調べたけど、アフガニスタンのイスラム原理主義拡大阻止のため、ロシアがタジキスタンに国境警備隊を配置していたということらしく(多分)、原因はソ連時代のアフガニスタン侵攻から来ているとかで、偏差値4の自分には理解が追いつかないけど、泥沼も泥沼のやうである。映画の中で兵士の人が年越しパーティーでの乾杯の音頭で「俺達の除隊を期待して!」とか言い、「なんで紛争終結を期待しないのか?」と疑問に思ったけど、事情が込み入っているからこそだったのかも知れない。
 今年の8月末、「米軍がアフガニスタンから撤退」というニュースがあり、「タリバン政権成立!」とか「国際情勢に緊張!」みたいなニュースが増えた。勿論、自分は「あぁ…うん…さうだわな…日本…大丈夫かな?」と偏差値4に相応しくニュースの意味がさっぱりわかっていない。ごにょごにょ本作のことを調べていたら、今年のこのニュースはもろに本作に直結しているっぽくて、昔話の映画じゃなかったんか、と取り急ぎ厳かな感。

最後に、本作で流れる音楽は武満徹の「波の盆」という曲が主要モチーフとして使われているらしく、YouTubeで聴いたら確かにそんな感じだった。そして普通に良い曲。
今年のオリンピック閉会式でも使われてたらしく、へぇー!と取り急ぎ厳かな感。


柴三毛「人それぞれ違います。この声は生涯を通じて自分と共にあります。最大の友人であり戦友であり家族であります。」

波平「バッカモーン!!!それは精神(こころ)の声ではなく、精神(こころ)の……合ってんじゃねぇか!どっちにしても、バッカモーン!!!」


ロ三毛 精神の一句
「戦場に 行った所で 何もせず」
(季語:所→所ジョージ→世田谷→金持ち→懐暖かい→春)
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