YasujiOshiba

悪い奴ほど手が白いのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

悪い奴ほど手が白い(1967年製作の映画)
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シチリア祭り(9)

原題は "A ciascuno il suo"(各人それぞれに各人のものを/ひとはそれぞれにしかるべきものが与えられるべきだ) 。これはローマ教皇庁の半ば公式の日刊紙オッセルヴァトーレ・ロマーノ紙の一面の発行人の下に記された、ふたつのラテン語のフレーズのうちのひとつ Unicuique suum のイタリア語訳。

イレーネ・パパスの存在感が抜群。喪服からチラリと見える膝だけで、ウブな高校教師を悩殺してしまうのだからすごい。その高校教師を演じたのがジャン=マリア・ヴォロンテ。この人はほんとうに、出る映画出る映画でまったく違う人物を当たり前のように演じてしまう。いやはやまったく、すごい。鍵となるのは、アントニオーニの『情事』(1960)ではシチリアにやってきた本土の色男をやったガブリエーレ・フェルツェッティだけど、ここでは真っ白なスーツが妙にピタッとくるシチリア人弁護士の依代となる。なるほど、それもありだよな。

原作はレオナルド・シャーシャによる1966年の同名小説。マフィアについてのミステリーの最初のものは、1961年の『真昼のふくろう』なのだけど、その映画化はダミアーノ・ダミアーニによる1968年の同名映画。エリオ・ペトリによるこの作品は、それよりも1年前に公開されたもの。ある意味で、シチリアを舞台にして得体の知れない犯罪集団としてのマフィアの存在を描く最初の作品といえるのかもしれない。

もちろん、以前にもピエトロ・ジェルミの『無法者の掟 In nome della legge』(1949)のようなものもあるし、タヴィアーニ兄弟による『火刑台の男』(1960)や、フランチェスコ・ロージの『シシリーの黒い霧』(1962)などもある。けれども、作家シャーシャと監督ペトリによる(おそらく)最初の共作は、新しいミステリーとしてマフィア映画のジャンルを刷新し、ある意味で最初の「政治的な」映画といえるのかもしれない。

追記:2023/12/17
ラストの部分を少し書き換え。この記事を参照。
https://www.ilfattoquotidiano.it/2016/03/12/leonardo-sciascia-ad-elio-petri-io-scrivo-solo-per-fare-politica-cosi-nacque-a-ciascuno-il-suo/2539921/

エリオ・ペトリについては、本気で考えてみたい。この作品がウーゴ・ピッッロ、ジャン・マリア・ヴォロンテとの連帯の始まりと言われているのだけど、そのあたりのことも俄然興味が出てきた。

なによりもウーゴ・ピッロの名前は、おそまきながら、ぼくにとっての関心をどんどんふくらませてくれている。
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