Takato

第三の男のTakatoのレビュー・感想・評価

第三の男(1949年製作の映画)
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以下町山さんの解説からのメモ

・舞台のウィーンは第二次世界大戦後当時英米仏ソに分断統治されており、複雑な政治下にあり、その中でこの物語が出てきた。

・撮影技法はフリッツ・ラングのドイツ表現主義の影の使い方が多用されている。子供が”Murderer(人殺し!)”と叫ぶのはフリッツ・ラング『M』のパロディ。映画全体がフリッツ・ラングの作品のパロディのような作りになっている。

・脚本は制作チームにウィーンにロケハンに行ってアイディアを練って作り上げられていった。したがってストーリーはごちゃごちゃ。そもそもなぜホリーがハリーに呼ばれたかがわからない。しかし表向きのミステリー、犯罪、恋愛、というストーリーはこの作品の本質ではない。善悪に対する哲学がこの映画の本質である。

・主人公は「無知なアメリカ人」の象徴。レクチャーを頼まれても何もできない。チープな西部劇を書いている作家。

・ハリーはキリスト、ホーリーのはユダ、アンナはマリアのモチーフ。正義と悪は逆になっている。

・ハリーはジョーカー。ペニシリンばらまきもジョークでやっている。アンナも常に「彼と一緒にいると笑っていたわ」と言っている。根源的な悪。世間に対して悪を用いてジョークをしている。善悪の彼岸に立っている。ニーチェである。時計仕掛けのオレンジのアレックスと一緒。泥棒をするのは魅力的な「悪」ではない。カリスマ性のある、思想を持った「悪」がハリーである。

・ハリーは、ホリーの「影」である。アメリカの表の面はホリー。その裏で欧州で爆弾を落とし「つぶ」のような人間を爆破するリアリストでニヒリストなハリーはアメリカの「影」の部分。

・ラストシーンでハリーは「俺を殺してくれ」という目をする。ホリーは自分の影であるハリーを殺して、大人になる。
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