つまり体操選手の官能的な運動にカメラが対峙して、アップなりスローモーションなりで再構築するオリンピックのドキュメンタリー映画は芸術点が高いのだけど、本作はフィクションだし体操選手である意味が全くない。
ベッドシーンであの画を撮りたいがための口実であるという欲求が露骨で見苦しく、章ごとに顔が全く別人の女性を同一人物とする無意味さは感受性への侮辱行為ですらある。動きながら演技のできない俳優がアクションを止めて喋る様の嘘くささ、物語映画から逃げているとしか思えない欺瞞的ショットに一体どう感動しろというのか。
唯一、行為中にシーツに垂れた血からマッチカットで海辺の彼女の姿に変移する編集だけは(狙いが鼻につくが)ロマンポルノっぽい耽美性があったかな。しかし後半の性豪女の安い逃避行は本当に見てられん…。