ぶぶこ

夕凪の街 桜の国のぶぶこのネタバレレビュー・内容・結末

夕凪の街 桜の国(2007年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

まず、この映画は、大変原作に忠実に作られています。原作がそれだけ素晴らしかったということでもあるでしょうが、原作のマンガ、構成も大変カッチリとできていますので、動かしづらかったのだと思います。
はじめに「夕凪の街」編がはじまります。戦後13年(昭和33年)の広島の「原爆スラム」で暮らす平野皆実(みなみ)という女性が主人公で、演じるのは麻生久美子さん。僕のツボの「薄幸系美女」の一人ですね(僕は他にこの系統としては、木村多江様とか石田ゆり子様を偏愛しています)。彼女は母と二人暮らしで、原爆で父と妹を亡くしたという設定です(原作では姉と妹が原爆で死ぬのですが、映画では二人を合わせて妹一人で代弁させています)。その妹に何もしてやれなかったということが彼女のトラウマとなり「何故自分は生き残ってしまったのか」という感情に苛まれています。前にも書いたのですが、戦争や大災害の被害者には、「何故あの人が死んで自分が生き残ったのか」というまさに不条理としか思えない事態を目の当たりにして、生き残ってしまったこと自体に罪悪感を抱くということが多々報告されています(一番このトラウマの存在を見せつけたのは、ナチスのホロコーストの生き残りです)。皆実もまさにこの感情に囚われているわけです。彼女はその感情を「お前の住む世界はここではないと誰かの声がする」と表現しています。それ故、会社の同僚に告白され、彼女もそれを受け入れようとしつつも、自分がそのように幸せになっても良いのかという自責の念が離れないわけです。この作品(マンガも原作も)では、その同僚が「生きとってくれてありがとう」と彼女の存在を丸ごと祝福する言葉を投げかけて、彼女のトラウマは一旦解除されるのですが、本当の悲劇はその後に起きます。というのは、原爆症が彼女の体を徐々にむしばんでいたからです。そして、僕が原作で最も戦慄し、映画でも絶対削って欲しくないと思っていた台詞が入ります。

嬉しい?十年経ったけど、原爆を落とした人はわたしを見て「やった、また一人殺せた」とちゃんと思うてくれとる?(映画は微妙に「13年後」としていますので、この部分も「13年」となっていましたが)

彼女はそのまま亡くなります。しかし、その直後に原作同様「このお話はまだ終わりません。何度夕凪が終わっても終わっていません」と、現代の「語り継ぐ者達」の物語、すなわち「桜の国」編に突入します(この映画はいわば二部構成を取っています)。

この「桜の国」の主人公は七波(田中麗奈)。「夕凪の街」のヒロイン皆実の姪という設定です。彼女は定年退職した父(堺正章)がこのところやたら長距離電話をしたり、ふらっと数日いなくなることを怪しんで、一度尾行してみることにします。その道中で偶然小学校時代の同級生東子(中越典子)と出会い、そのまま二人で尾行することになったのですが、父の行き先は何と広島。そこで父は、姉である皆実の痕跡を辿り、彼女と縁のあった人を回って色々話を聞いていたのでした・・・。
「桜の国」はその他、七波の母親も被爆者で早く死んでしまったこと、弟の凪生と友人の東子が実は恋人同士だったことなども重要ですが、それはマンガを読むかこの映画を見ていただくこととして、やはり泣かされたのは、原作のラストシーンの七波の独白です(初めて読んだとき「こうの先生、ひどい、こんな泣かせに走りやがって」と八つ当たりしたくなったくらいです)。これもいわば「生まれてきたことの全面的な肯定」です。この作品を貫いているテーマはまさにこれだと思います。存在そのものへの祝福と言い換えても良いでしょう。凄絶な物語でありながら、ある種の明るさを感じるのは、このテーマが背骨として機能しているからでしょう。桜が咲き乱れる歩道橋でのラストシーンは是非各自でご覧ください。
というわけでとにかく、時間のある人はマンガと映画を、ない方は原作のマンガだけでもご覧になっていただきたいと思います。
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