うえびん

そして人生はつづくのうえびんのレビュー・感想・評価

そして人生はつづく(1992年製作の映画)
4.6
あっぱれ

1992年 イラン作品

1990年、イランで大地震がありました。1987年に作られたアッバス・キアロスタミ監督の映画「友だちのうちはどこ?」のロケ地、コケール村も大きな被害を受けました。地震の後、キアロスタミ監督は、息子と共にコケール村を目指します。黄色いオンボロの車に乗って。映画に主演していた少年の安否を確認するために。道中でいろんな人と出会い、交流しながら、一途に少年を追ってコケール村を目指すのです。

物語はそれだけ。何もドラマは起こりません。なのに、作品世界に没入させられます。親子の会話から始まって終わりの山の遠景まで、中東イランの国に運ばれた気分を味わい続けます。大地震という一大事を体験した人々は、それぞれに大きな個人的ドラマを経験しているはず。舞台設定自体に観る人の想像力が喚起させられてしまうのです。

ドキュメンタリータッチですが、ノンフィクションではありません。監督もご本人ではなく役者が演じています。たくさんの登場人物は、地元の住民が多いようで、その中には『友だちのうちはどこ?』の出演者も。だから、語られる言葉に虚実が入り交じっています。これが実に興味深いのです。

映像やカメラワークがどれも印象的です。車窓、サイドガラスから見える景色、フロントガラスから見える道、カメラのズーム、イン・アウト、監督の目線、息子の目線…。木々の揺らぎに鳥の声…。この世界の見え方や聞こえ方は実に多様です。ジャケ写の家は決して立派で綺麗な家ではありません。だけど、得も言われぬ美しさが感じられるのが不思議です。

セリフ(言葉)は、いつ語るか、誰が語るか、どこで語るか、どのように語るか、それによって同じ言葉でも意味合いが違ってきます。いろんな人の語り(内的事実)によって、同じ空間、同じ時を生きる人たちの外的事象が立体的に浮かび上がってきます。天災により家族を喪った人々が語る様々な言葉。人の死の受け止め方は様々ですが、そこに神の存在を感じている共通性が浮かび上がります。

メタファー(隠喩)。人生が続くように、道はどこまでも続きます。監督親子がコケール村を目指す理由は開始30分過ぎまで分かりません。どこを目指して、なぜ生きるのか、人生の目的も前半は何も分かりません。孔子様は、吾50(歳)にして天命を知ると言われました。人生も道も、ジグザグでアップダウンの連続で、スムーズには進めません。誰かを探して懸命に進み続ける黄色いオンボロ車を見ながら、私たちの人生も何かを探して進み続けているようなものだと思わされます。まさに『そして人生はつづく』のでした。

センス(感性)のかたまり。おそらくこれは、考えて計算して創られた作品ではありません。監督の独特なセンスなのでしょう。神のご加護に依るものかもしれません。自然の脅威と恵み、人の生と死、実の話と作り話、全てが調和しています。エンドロールの文字までが美しいのです。天晴!

アッバス・キアロミスタ監督作品は、『桜桃の味』『友だちのうちはどこ?』に続けて三作目の鑑賞。面白さとは違う味わい深さが堪能できます。ジグザグ三部作の最後『オリーブの林をぬけて』も楽しみです。
うえびん

うえびん