ラサ

階段通りの人々のラサのネタバレレビュー・内容・結末

階段通りの人々(1994年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

原題は『A Caixa』、「箱」という意味。階段通りに住む盲人が道行く人からの喜捨を入れる箱、これを巡って巻き起こる騒動が描かれる。
警察官は夜のパトロール中に呑んだくれてるし、朝起きて家から出てきた老女は立ちションするし、すごく自由に生きているような感じだ。その一方で通勤ラッシュ時「剣の舞」に「合わせて」階段を登り降りする群衆はとても滑稽に描かれているから、階段通りに住む人々に肩入れしてしまう。しかし、実際には「階段通りの人々」の生活はつらく厳しいものなのかもしれない。
ペドロ・コスタ『ヴァンダの部屋』を見た後でこの作品を再見したからか前回よりもこの映画が悲しげに見えてしまった。階段通りの人々の社会からはみ出してしまったがゆえの自由さに憧れすら抱いていたのに、いまとなってはその頃のじぶんがなんと無責任な感想を持ったんだと憤る。まるで劇中のギター弾き大学教授のようだ。彼の奏でる音色はたしかに美しいが、彼にとって階段通りは逃避場所しかない、そこに暮らすしかない人々にとってその音色はときにうざったくてしょうがないだけの代物だ(実際3人のチンピラは彼の演奏を無理やりやめさせる)。オリヴェイラ自身、資本主義の波に飲み込まれ「剣の舞」を踊らざるをえない大衆と、貧乏でもいいからそこで享受できるかすかな自由を生きる人々との間で引き裂かれていたのではないか。喜劇的な悲劇によって家族を失った女は、「悲惨な身の上話」のおかげで人から施しを得られるようになった。たくましく生きるとはどういうことなんだろうと考えました。
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