ダイアー教授

ファイト・クラブのダイアー教授のレビュー・感想・評価

ファイト・クラブ(1999年製作の映画)
5.0
題: Fight Clubのことを誰かに話そう!

製作:1999年、アメリカ
監督:デヴィッド・フィンチャー
原作:チャック・パラニューク同名小説
音楽:ダストブラザーズ
CAST:エドワード・ノートン、ブラッド・ピット、ヘレナ・ボナム=カーター

(あらすじ)
語り部(エドワード・ノートン)は大手自動車会社(Ford)のリコール調査担当者。
人命と補償費用と天秤にかける仕事だ。
人生の1日を“切り売り/single serving”するように、全米を出張で飛び回るホワイトカラー。
彼はいつのころからか、不眠症に悩んでいた。
そんな彼の前にタイラー・ダーデンと名乗る謎の男(ブラピ)が現れて、人生が急展開する。

(感想)
初見時は高校生。思いっきり影響され、映画館を出て一緒に観た友だちと殴り合いをした。
22年経ち、僕は家庭を持ち三井系のアウトレットにもIKEAにも行くようになった。

“私はジャックの手です。左は妻の手、右はクレジットカードを握っています。”

「Fight Clubのことは誰にも話すな」という禁を破ることになりますが、3つにまとめてレビューします。

1.男なら自己破壊だ!
語り部は難病患者の集会に紛れ込み、救いのない人たちの苦しみに触れた。
その効果で不眠症は改善され、一時的に救われた。
しかし、マーラ・シンガーの邪魔が入り、再び不眠症になる。
※マーラの名前はお釈迦さまの悟りを妨げた悪魔「マーラ」に因んでいると思われる。

語り部の真の救いは女人禁制のFight Clubにあった。
Fight Clubで殴られ、蹴られ、撃ちつけられ、焼かれた。
さらには死を覚悟した。
死の体験は皮肉にもホワイトカラーの彼が生業としていた自動車事故の体験であったが、
それで彼は真に救われた。

苦痛や死こそ生きている証。
苦痛や死を感じることは生を感じることなのである。

Fight Clubは男が生を実感する場、存在価値を得る場だ。
自分の存在価値を否定し、絶望し、全て失って、
自分の存在価値を知り、悦びを感じ、自由を得るのである。

GUCCIのアンダーウェアの広告を前にタイラーは
「自己啓発なんて自慰行為と同じさ。さて、俺らは自己破壊といくか。/Self-improvement is masturbation. Now self-destruction.」
と吐き棄てる。

Fight Clubは自己啓発セミナーでもフィットネスジムでもない。
自己破壊の場所である。

2.スペースモンキー
初めて月に行った人類はその功績を崇められている。
しかしその前に実験台となって、犠牲となった実験動物たちがいる。
何匹も、何十匹も…何万引きも?もしかしたら何人も?

1匹の卵子にたどり着く前に、何億の精子の犠牲があるように。

宇宙船の試作品に搭乗した動物、それがスペースモンキーだ。
スペースモンキーの存在価値とは「命を削って、命を棄てて、何かを為すこと」ことだ。
本当は月に行った人類より、実験台となったスペースモンキーの犠牲こそが尊いのである。

某ファッション通販サイトの元社長が月旅行を計画しているそうだ。
商品の奴隷たちによって、彼の富は築かれた。
物質主義社会の成功例だ。
その権化である彼が月に行く?
それを指を咥えて見ていていいのか?
スペースモンキー諸君!

3.メイヘム計画を今、実行するなら?
今の日本でスペースモンキーたちがメイヘム計画を実行するならどこが最適だろう?
代官山や白金台よりも、今は二子玉川あたりがアツいのではないだろうか?

二子玉で、君は、ロバート・ポールセンになれるだろうか!?